今年は節目の戦後70年。先日、テレビのニュースで玉名の戦争遺跡『大浜飛行場』の事をやっていたので見に行くことにする。 「玉名歴史博物館こころピア」にガイドマップが置いてあるそうなので先ずはそちらを先に訪ねる。 午前8時頃にクロモリロードバイクで出発。藤崎宮を経由して県道1号線で上熊本へ。
そのまま県道31号線に入り、今日はガンガン走ってそのまま国道208号線まで突っ走るつもりだったら、貢町で早くも疲れてしまい、ゆうかファミリーロードへ逃げる。
硯川で再び県道31号線に入り、アップダウンを走っていると、気になっていたこの看板が目に入る。
「ひょっとしたら花が咲いてるかも?」と寄り道することに。やれやれ、これだから平均速度が遅いんよね。 初めて入る菱形小学校の校庭。
あれかな?と行ってみると、ビンゴ!
傍らの看板に興味深いことが書いてあった。
要するに、色々調べてみたら、カタルパは、同志社大学の創始者である新島襄がアメリカから日本に持ち帰ったものである。新島は徳富蘇峰に友情の証としてカタルパの苗を贈り、そのカタルパは今も徳富記念館で健在であるが、そのカタルパと菱形小学校のカタルパは兄弟関係にあたるらしい。 確か、合志市の合志義塾跡のカタルパも兄弟関係にあたるんじゃないかな? また、全国的に見ても他に類のない大きさなんだとか・・・。 幸い、まだ花が咲いている。
ノウゼンカズラ科だけに、色は違うけど、花の形が似ている。 少し得をした気がして、県道31号線に戻り北へ。国道208号線との交差点のセブンイレブンで燃料補給後、国道208号線を玉名方面へ。 時間があるので、稲佐から右折して県道302号線を走って右折し、梅林天満宮などを廻って、ユニークな建物の「玉名歴史博物館こころピア」へ。
大浜飛行場に関するパンフレットだけもらうのも何なんで、入館料300円を払い、見学。館内の写真撮影は禁止だけど、なぜだか、洞田貫だけは撮影可となっている。
その他、玉名の歴史や、天水町出身の笠智衆の展示会を見学。 昼飯にはまだ少し時間があるので、高瀬裏川沿いの遊歩道とか、
繁根木神社や
その裏の稲荷社にある、全国的にも珍しい補陀落渡海碑
などを観て、時間が来たので、久しぶりのシンドバットで「おこのみランチセット(ハンバーグ)」をいただく。
2年前の消費税の増税で700円になってしまったけど、これに食後のドリップ珈琲が付いてるのは、なおコスパ良し。 その後、菊池川沿いの道に出て川下へ。
ふたつ目の橋を渡って大浜町へ。ここは江戸時代には廻船問屋の街として栄えた歴史がある。
一方、太平洋戦争終盤の昭和19年に、陸軍飛行学校の飛行場があったことでも知られる。博物館で手に入れたガイドマップを見ながら
主だった見どころを廻る。
この大浜飛行場、昭和20年5月に2度にわたる米軍の空襲(死者18名)で破壊され、再建されぬまま終戦を迎えた。 当時の様子を伝えるべく、多くの看板が整備されているものの、その多くは民家の敷地内で、残念ながら、当時を偲ばせる物はあまり見ることができなかった。案内できる人と来るべきか? 帰路は伊倉から野部田、竹崎を経由して
尾田の丸池の水場で給水。
その後、県道113号線に入り、尾田の天神樟を経由して
上りへ。
原倉から吉次峠へ上がり、
峠を越えて
県道31号線へ右折。硯川のセブンイレブンで休憩して、上熊本まではゆうかファミリーロードを走って、
藤崎宮を経由して無事帰宅。 本日の走行距離:87.3㎞