くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

ふたたびピンクの石を目指して・・・

 昨年の4月に続いて、2度目の「馬門石(まかどいし)探索」へ。 馬門石とは、約9万年前の阿蘇山の大爆発で流れ出た火砕流が冷えて固まって出来た阿蘇溶結凝灰岩である。通常は灰色をしているが、宇土市網津町馬門付近に産するものだけは淡いピング色をしており、しかも比較的柔らかいため加工もしやすく、馬門石(阿蘇ピンク石)という名で呼ばれ県内の石造物に利用されている。 前回は網津町の馬門に今も残る石切場跡まではたどり着いたものの、その先の、馬門石をふんだんに使ってあるという「牧神社」にたどり着くことができなかった。 今日も悪路が予測されるので、午前7時過ぎにシクロクロスバイクで出発。いつものように出水ふれあい通りを経由して、中の瀬橋を渡り、加勢川沿いの道を走る。

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予報は「曇り」だったけど、やっぱ、空が青いと気分が良い。 いつも左折する県道182号線をアンダーパスし、そのまま加勢川左岸の道を走ると、県道50号線に合流してしまい、さらに国道3号線に合流し、緑川橋を渡って、富合の新幹線車両基地の南にある井樋橋(いびばし)を写真撮影。

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この橋にも馬門石が沢山使ってある。 その先の交差点を右折し、鹿児島本線の西側を走る道で宇土市街地へ。道なりにゆくと右側に船場橋がある。

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この橋の欄干にやはり馬門石が使ってあるし、すぐ隣にある、轟水源の水を引いた轟泉水道の井戸にも使われている。

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文化ホールの前には馬門石で彫刻したオブジェが置いてある。

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さらには宇土鶴城中学の南東にある小さな御鷹野橋にも・・・。

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そう言えば、宇土の「武家屋敷跡」を観てないことを思い出し、付近の住民数名に聞くけど、誰も知らず、やっと「あの辺りでは?」と言われて、やっと辿り着く。

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その後は、まだ行ってなかった宇土半島の水場へ。

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坂を上って、集落を抜けると、道が荒れて路面が荒れて濡れて激坂になってきた。

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おまけにまたクロメマトイが纏わりつきだした。 激坂を押して上ること約50mで、「光園寺跡地毘沙門堂池」に到着。

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残念ながら、飲みたくなるような湧水ではない。

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辺りを散策して上ってきた道を戻り、轟水源でボトルに給水し、ヤマザキのミニ羊羹で栄養補給。

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さて、これから網津の馬門まではどうするか考えるに、天気も良さそうなので、阿保(あぼ)峠を越えてゆくことにする。 轟水源を出たところから右折して激坂を上り、

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白山への登山道に出て、さらに坂を上る。馬頭観音の地蔵さん?

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のところになると坂の勾配が緩やかになって、木陰の中を気分よく走る。

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峠のような所をひとつ越えて、阿保峠の「くすめき地蔵」にお参り。

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その辺りから路面に、落葉、落枝、拳大の石があり、注意を要する。絶えずブレーキを引き続け、県道58号線に突き当り右折。

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少し走って左折し網田への笹山越えの道の上り口を確認しに回り道をして、再び県道58号線に戻り坂を下る。 しばらく下ると、石切場跡の案内板。

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その途中にある「大歳神社」の鳥居も馬門石製。

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案内板に従って、右折して、左折。少し坂を上ると右側に石切場跡。

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現在も小規模ながら石切が行われており、その横の工房では製作中のものが置いてある。

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そこからは未舗装道路となっているけど、10mくらいでまた舗装道路となり、100mほどで「牧神社」に到着。

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鳥居はもちろん、灯篭や、祠も馬門石で造ってある。 ところで、どうして「牧神社」かというと、この辺りは、日本書紀の頃から馬を育てる牧場があり、かなり大規模なもので、明治の頃まで続いていたんだと。それでここの地名が「馬門」というのも納得。 目的を達し、満足して、来た道を戻り県道58号線に出て左折。あとはいつものように農免道路にでて、次郎兵衛橋を渡り、走潟のセブンイレブンで休憩。国道501号線を走り平木橋を渡って右折し、

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加勢川沿いの道を走り、川尻を抜け、木部川沿いを走って県道182号線を左折。 流通団地を抜け、白山通りを走り、大江の市立図書館前のインド食堂へ寄ると今度は・・・。

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しばらく時間を潰そうと思っているとマスターがでてきて「一席だけなら空いてますよ」との事でノンベジタリアン・カレーセットとチャイにありつく。

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満足して帰宅。 本日の走行距離:64.6㎞

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