くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

馬門石を目指してポタリング

『馬門石』と書いて『まかどいし』と読む。 なんでも、日本では宇土市網津町の馬門(まかど)でしか採れない石なんだそうな。 富合町の井樋橋(いびばし)を見に行った時、使われている馬門石の淡いピンク色がとても印象に残った。

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宇土市 観光情報サイトによれば・・・ 『今から約9万年前,阿蘇山の大爆発で流れ出た火砕流が冷えて固まって出来た阿蘇溶結凝灰岩のうち,宇土市網津町馬門付近に産するものを,馬門石(阿蘇ピンク石)と呼んでいます。 中国・近畿地方の有力豪族の棺が造られた古墳時代と,轟泉水道大改修に代表される江戸時代に最盛期がありました。昭和30年代に本格的な切り出しは行われなくなり,現在は雑木林に覆われ,苔むした石の破片が崖を覆っています。近年,馬門石の歴史の謎を解くため発掘調査に着手。5世紀中頃から7世紀前半の土器が出土しています。・・・ 』 そう言えば、宇土市網津から宇城市松合を結ぶ県道58号線を走った時に、馬門石の石切場跡の案内板を見かけたことがある。 前日の『曇りのち雨』の予報がいつのまにか『曇りのち晴れ、所によりにわか雨』になり、青空が広がっていたので自転車の虫が疼き出し、午前10時過ぎにクロモリロードバイクで出発。 どうせだから、石切場跡へ行く前に、城南・宇土方面の『行きたかったけど、まだ行ってなかった所』も廻る事にする。 いつものように、出水ふれあい通り経由、めど町橋・城南旧道経由で浜戸川沿いの道に入る。その頃になると、あらあら曇ってきて時折小雨がパラつき出した。

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突き当たりを左折し、道なりに進んで1km足らずで左折。道なりに進むと、『平井戸水源』に到着。

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昨年、城南町が熊本市に合併して新たに『熊本水遺産』に加わった水源で、崖の下のあちこちから水が湧いて池となっている。

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そこから少し東へ上って、錦郷川(にしきごがわ)沿いの道を下る。この辺りになると、また青空が見え出した。

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周囲にはレンゲ畑が広がる。

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塚原古墳公園・木原不動尊を経由しウキウキロードに入り、松橋バイパスとの交叉点近くの『洋食亭』に入る。

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お薦めの『オム&シチューセット』950円を注文。

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これはコストパフォーマンス悪かった。 宇土市内に入って、二つの宇土城跡を廻る。

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まずは近世宇土城跡(城山)。

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『歴女』に人気がある小西行長の居城跡で、ここへは何度も来ている。

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そこから西へ数百mの中世城跡(西岡台)へは初めて上る。

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近世宇土城跡と比べると、こちらの方が城跡らしい。

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眺めも比較的良好。

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そこからさらに数百m西の轟水源へ。

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ここから宇土市街地へ5キロ続く日本最古の上水道設備である轟泉(ごうせん)水道の入り口。

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そしてその轟泉水道の一番末端の井戸が宇土市船場にある。馬門石が使われている。

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今朝の熊日朝刊によれば、この約5kmの轟泉水道の管理をしている人達が高齢化しており、しかも後継者がいないため、存続が危ういんだと。近くに住んでれば、お手伝いできるんだけど・・・。

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さて、その水道の最末端の井戸の、すぐ横にある船場橋。

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欄干に馬門石が使われている。

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さあいよいよ、その馬門石の石切場跡へ。 路側帯の狭い国道57号線をなるべく走らないようにして県道58号線へ。あじさいの湯のひとつ先の橋を案内板に従って右折。

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すぐに宇土市一番の巨木『歳の神の樟』の出迎えを受ける。

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先へ進んでゆくと段々に山間となる。

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ロードバイクのタイヤでは厳しくなりそうなところに『馬門石石切場跡』。

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大規模な採石は行われていないが、小規模な採石は行われている模様。苔むした岩の表面は普通だが割面は淡いピンク色。

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割りに柔らかそうで、加工もし易いんだと思う。

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石切場のさらに山奥に、馬門石をふんだんに使ってある牧神社というのがあるらしいが、泥道なので行くのを諦め、帰路につく。 国道57号線を横断して次郎兵衛橋を渡り、走潟で国道501号線を左折。平木橋を渡って右折し、六間堰を渡って、緑川と加勢川の間の『菜の花ロード』を走る。

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川尻を経由して木部川沿いの道を走ったが、途中から工事中で、流通団地を経由して帰った。 本日の走行距離:78.5km

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