くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

宇土半島お墓めぐり

黄金週間最終日、宇土半島のお墓めぐりに行く。 午前8時過ぎ、クロモリロードバイクで出発。いつものように出水ふれあい通りから画津の田舎道を走る。今朝はウィンドブレーカを羽織っていても少し肌寒い。 中の瀬橋で加勢川を渡り、

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右折して加勢川の左岸を川下へ。県道182号に突き当たり左折し、釈迦堂橋で緑川を渡る。

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JAから右折してウキウキロードを走る。

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宇土市に入り、松山町の交差点で右折してウキウキロードから外れる。 まず最初のお墓は横綱・不知火諾右衛門(しらぬいなぎえもん)の墓。昨年の12月に一度訪問したけど、その時はママチャリのお母さんに先導してもらったので、今度は自力で。

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この後はウキウキロードのアップダウンを避けて田舎道を走り、

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宇城市役所のところから国道266号線に入り、東へ。道の駅 不知火で休憩し、

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そのすぐ先から右折して坂道を登る。これが、なかなかの激坂。

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不知火カントリークラブに突き当たり、農免道路に出て、古屋敷地区を目指してアップダウンを進み、

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突き当りを左折。

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本日2番目の「丸目蔵人(まるめくらんど)の墓」へ。

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この案内板から先は、なかなか雰囲気のよい激坂が待っていて、黙々と上る。

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「まだ上るのかいな?」と不安になってきた、さらに激坂の先に次の案内板。

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そこからは最後の激坂。

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ここは自転車を押して、やっと到着。

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丸目蔵人とは戦国時代から江戸時代初期にかけて「剣聖」と呼ばれた相良藩の武将で兵法家だけど、その人なら確か、錦町にお墓があるはず。よく調べたら、錦町の人は、本家「丸目蔵人佐長恵」で、ここのお方は「丸目蔵人信久」という別人のお墓らしい(ニッポンレンタカーのHPより)。 その後、激坂を下り、元の道に戻り、古屋敷地区を抜ける。

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国道266号線に降りて右折。松合地区に入り、旧道へ。

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白壁の街並みから県道58号線へ右折し間もなく左折。松合小学校を経由して、

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松合地区の西側斜面を登って

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六地蔵公園へ。

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ここを通る道は、現在の海岸道路が開通するまでは富岡往還と言われ、宇土半島南岸の重要な道であり人通りも多いものだったという。 この公園の少し手前の墓地に本日最後のお墓、『御船千鶴子の墓』がある。

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御船千鶴子は明治後期に千里眼として名を残し、24歳の若さで自らの命を絶った。ホラー映画「リング」の貞子の母、志津子のモデルとなった人物である。ちなみに、荒尾の万田抗の石炭鉱脈の発見も彼女の千里眼によるものだとか。 それはそうと、誰か悪戯したのか、活けてあったはずの花が散らかっているので、活け直して、手を合わせて帰路へ。 ここから北へ坂を上るが、この道が路面が悪くしかも一部は激坂であった。坂の頂上付近で振り返って不知火海を眺める。

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やがて県道58号線の激坂を過ぎた辺りに突き当たって左折し、

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さらに坂を上り、峠を越えて、宇土市に入り、

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網津方面へ坂をくだる。住吉から農道で走潟へ抜け、

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国道501号線を北上し、平木橋を渡って右折。今日は六間堰を渡らず、工事の終わった加勢川の右岸を川上へ。

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川尻を抜けて、加勢川、木部川沿いの道を進み、中の瀬橋の所から朝来た道を帰った。 家に帰ると、睡蓮が今シーズン最初の花を咲かせていた。

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本日の走行距離:81.7km GPSのログがうまく録れなかったので、ルートラボで作っていた走行予定コースを掲載。

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