くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

島原大変、肥後迷惑 その2

引き続き、寛政の津波に関連する場所を廻るポタリングに、午前8時半過ぎ、クロモリロードバイクで出発。 出水ふれあい通りを経由して画図の田舎道を走り、中ノ瀬橋を渡って加勢川沿いの道を走る。

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県道182号線より西側の道がまだ工事中で、木部川沿いの道へ一時迂回して川尻の旧船着場へ。

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津波は加勢川の河口近くにあった当時の六間堰を越えて逆流し、ここ船着場の石段の上から三段目まで水位が上昇したとの伝承がある。

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新町橋に戻って中無田閘門方面へ抜けようと思ったら「全面交通止」の看板が出ていて、仕方なく加勢川右岸の道へ。 ところが、そこも工事中で、中緑小学校へ迂回し、六間堰の先から緑川沿いの道に入り、平木橋をアンダーパスして川口町の方丈地区にある良覚寺へ。

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ここには津波で死亡した周辺の四集落286人を供養する石碑が残っているが、坊守さんと思しき方の話によると、現在、改修中で石碑は業者のところにあるとの事。 近日中に完成予定らしいので、いずれまた・・・。 道を戻って国道501号線で平木橋を渡り、走潟のセブンイレブンで栄養補給して右折。次郎兵衛橋を渡り、宇土北部農免道路へ右折。向かい風に苦労しながら住吉の先から国道57号線に入る。 しばらく走って長浜へ。 長浜では、津波によって全120戸のうち105戸が流失し、総人口893人のうち390人もの死者を出している。 死者を供養するため、津波から40年ほど経った文政13年に建立された「想霊塔」があるらしいのだけど、事前調査でも場所が全く分からず、それ以前に、あるかどうかも分からず、さしあたり、旧道に入ってみる。

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それらしいものが見当たらないので、住民数名に聞くも誰も知らず。その中には、かなり高齢の方も居て、他の方から、「そん人が知らんなら、長浜の者は誰も知らんだろ?」と。 代わりに、ラフカディオ・ハーン所縁の「天神の湧水」というのを見つけた。

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さらに遺跡ウォーカーによると、もうひとつ、長浜東の津波供養塔というのが坂を上ったところにあるらしいので、行ってみる。案の定、山の神とか、

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納骨堂とかはあるけど、

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供養塔らしきものは見当たらない。代わりにこんなものがあった。

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次に訪れたのが網田。国道から右に折れた戸口地区にある一郡一基の「寛政の津波供養碑」。

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2回にわたるポタリングのきっかけとなった供養碑。

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ちなみに、ここ網田地区では居住者の3分の2にもあたる535人もの死者を出したらしい。 そして、もうしばらく海岸線を西へ走って到着した大田尾地区。

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道を左に折れてすぐ右折し、小川沿いの坂を上って行き、

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左折して少し上ったところにある「津波境」の石。

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この石の持つ意味合いは、「ここまで津波が来た」ではなく、「ここまで上れば津波はこない」らしい。 かつ、この石は道路工事の際に少し上に移動されたらしく、さらには、この石の下の家に残る伝承から、

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ここでの津波高は22.5mと推測されている。 国道57号線に下りて大田尾の海辺へ。本日、島原半島は、とうとう姿を見せてくれなかった。

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以上、2日に渡って寛政の津波による肥後藩の被害(肥後迷惑)を伝える史跡や伝承の場所を見て廻った。 さて、同様に被害を受けた天草であるが、当時、天草は島原藩の預かりであり、「肥後藩」ではなかったので(正直に言うと、遠かったので)、今回は除外したが、「天草探見」というHPに大変詳しく記載されているので、興味のある方は是非、どうぞ・・・。 次第に追い風になって三角方面へ。丁度、正午頃に三角西港に到着。

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かなり腹が減ったので、ここの洒落たカフェに入るか、いやいやBenbowさんお薦めの、三角港の物産館のイカめしが残っているのに賭けるか、10秒ほど迷って、イカめしに賭けて猛ダッシュ。 物産館前に設置されたバイクラックに駐輪させ、

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店内に駆け込むと、ひとつだけ残っとった!

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「小魚屋(ととや)」と言うところが作っているらしく、確かに美味い!御飯に筍が混じっているのも良いですな。

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かなり満足して、しかも追い風に乗って国道266号線を快調に走る。

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途中、アンカー星人さんの別荘の案内板も発見。

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松合に入り、旧道へ。

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仲西船溜りのところには平成11年の台風18号による高波被害の時の、高波の痕跡高の石碑が建っている。

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この程度の潮位であると災害のイメージが湧くけど、「寛政の津波」の時の津波高は、壮絶すぎて、とうとうイメージが湧かなかったなあ。 その後、松合小学校から西側の斜面を上り、

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不知火の海を眺めながら六地蔵農村公園を経由してミカン畑の激坂を上って県道58号線に合流。海の眺めに別れを告げて、

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もう少し上って、網津へ下る。

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国道57号線を渡って、宇土北部農免道路に入り、朝来た道を帰る。六間堰の所の工事図を見たら、中無田閘門は抜けられそうだったので、六間堰を渡り、緑川と加勢川に挟まれた「菜の花の道」を気分よく走る。

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途中の工事箇所も無事に抜け、その後は来た道を帰った。

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本日の走行距離:114.3㎞

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