くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

宇土半島ワンダーランド

ロードバイクに乗り始めた当初、『宇土半島』と言えば、海岸道路をぐるっと回ることしか知らなかったが、内陸部に足を踏み入れると、なかなか面白い事が解った。Benbowさんが『ワンダーランド』と称する宇土半島の内陸部に今回も足を踏み入れる。 午前6時過ぎ、クロモリロードバイクで出発。いつものように出水ふれあい通りを南へ。画図の田舎道を走って浜線バイパスに出て、加勢川を渡る。

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すぐ右折し、加勢川沿いの道を西へ。流通団地からの県道162号に突き当たり、左折。釈迦堂橋を渡って南下。榎津のJAから右折し、ウキウキロードを宇土方面へ。松橋バイパスを横断し、鹿児島本線および九州新幹線をクロスしアップダウンを2つ越えたところで『不知火カントリークラブ』方面へ右折。

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いつかBenbowさんのブログに紹介されていて、初めて走る道。次第に登って行くものと思っていたら、相変わらずのアップダウン。不知火町長崎地区に降りて、坂を登ると左下に『道の駅不知火』が小さく見えてくる。

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しばらく上ってやっと『不知火カントリークラブ』に辿り着く。

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そこからしばらく左手に海を見ながらアップダウンを進む。

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農免農道の突き当たり(工事中)から左に下って、不知火町永尾(えいのお)の古屋敷地区に到着。

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ここには色々見所がある。

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中でも、これに注目!

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先日、阿蘇のブッチャーKさんに連れて行ってもらった踊山神社の案内板にも「すじ」なる記載があったのだ。この『すじ』というのは熊本の方言で、『ひきつけ』とか『てんかん』とかの意味らしい。そして、『ひきつけを起こす』ことを『すじをひく』と言うのだ。 近くの水場、『清水川』で米をといでおられるおかあさんたちに『すじの神様』の場所を聞くと・・・。

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すぐ近くの、この家にあると。

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そこで、このお宅で声をかけると庭に通され、

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庭にある祠にその神様がおられるかと思いきや、その先の縁側に通され、そこにおられるのが『すじの神様』であった。

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この家のおかあさんによれば、いつの頃かはわからんが、子どものひきつけに効果があるということで、子どもがひきつけを起こしたらここに担ぎ込んでお祈りをしていたと。今は自動車で病院に連れて行くので、子どものひきつけは来んようになったが、首や足のすじが痛むひとは壷の水を痛いところにかけると効き目があるんだと。

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そこでわたしも賽銭を入れ、線香を焚いてお祈りをし、時々痛む右足のモートン病のところに壷の水をかける。

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厳粛なる儀式を済ませ、この家のおかあさんとお話をし、庭の祠について尋ねると、『馬の蹄』と言われる石が、『すじの神様』の下の地面にあったので、じいさんが、『これは庭に祀ると良い』と言う事で、息子が自分で祠を建てて中に祀っていると。

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なるほど馬の蹄のような窪みがあり、さらにその中央には何やら地蔵様のような突起があるようにも見え、思わず手を合わせて、『すじの神様』の家を後にする。 坂を下って、不知火町永尾(えいのお)の国道266号線に出て右折。すぐに松合地区に入り、右折して松合の街並みへ。

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ここまでで疲れていたら県道58号線で山を越えて帰るつもりであったが、まだ元気があるし、空にも適度に雲が出てそれほど暑くないので、松合の公園でトイレ休憩後、国道266号線に出て右折。しばらく国道を走る。

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海沿いのアップダウンを過ぎて郡浦(こうのうら)から右折し県道243号線に入る。上りが始まる前で右折し数百m進んだ左側にある郡浦神社。

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ここの池が確か湧水のはずだと思ったら、どうもあまり綺麗ではない。

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後で調べたら、もうすこし上ったところに『赤木水源』なるものがあったらしいのだけど、それは今度のお楽しみ。 県道243号線を網田方面へ。

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峠の近くにある、いつも綺麗に掃き清められたお地蔵さん。

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くだりは杉木立の中。

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木立を抜けると網田の町が見えてくる。

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下って国道57号線に突き当たるところに、『寛政の津波供養塔』の案内板があったので、見に行く。

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宇土市デジタルミュージアムによると・・・ 熊本県の災害碑のなかで,同一の災害による碑の建立数が群を抜いて多いものは,寛政の大津波による供養塔や記念碑で,熊本県内で74基確認できます。寛政4年(1792)に生じた普賢岳の火山活動により前山(眉山)が崩壊し,それにより引き起こされた大津波被害は有明海沿岸に甚大な被害をもたらしました。 犠牲者の数はおよそ肥前で1万人,肥後で5000人を数えました。『寛政四年四月朔日高波記』によると,宇土郡の合計死者数は1266人であり,大きな被害を被ったことがわかります。 この塔は,被害の大きかった玉名郡,飽託郡,宇土郡の3ヶ所に同種の供養塔が造立されたことにより,別名「一郡一基の塔」と呼ばれています。 近くの海岸からみる島原半島。

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国道57号線を住吉方面へ走って、長部田海床道路に立ち寄ると潮が満ちてきて道がなくなってきている。

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ここは大分麦焼酎二階堂のCMに使われた。

CMみたいに、潮が満ちる夕方に来て見たいけど、自転車では帰りが暗くなるからねえ・・・。 国道57号線から住吉神社方面へ左折し、田舎道を走り、いつものように次郎兵衛橋、平木橋を渡り、緑川沿いの道に右折。六間堰を渡り、加勢川・木部川沿いの道を走り、浜線バイパスに出て朝来た道を返る。

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予定通り、午前11時30分には自宅に帰り着いた。 本日の走行距離:92.0km

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