くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

坪井川の水源から河口まで自転車で行く

熊本市京町で生まれ育ったわたしにとっては、「川」と言えば「坪井川」である。ところが、その水源も、河口も見たことがない。そこで見に行った。その前に少し仕事があるので、クロスバイクに乗って、いつもの通勤路、北バイパスを通って病院へ。ひと仕事して、午前11時頃病院を出発。鶴の原団地を抜けて高速道路沿いの道に出る。今日は連休後半の中日。高速道路は鹿児島方面への下り線がかなり渋滞している。
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北熊本サービスエリア横の道路に駐輪して職員通用口からサービスエリアに入りトイレ休憩。行楽客で混雑している。植木町改寄(あらき)方面へ左折し、立石地区に入る。この辺りに坪井川の水源である「水口」があるはずなのだが、案内の標識が見つからず、探し回っていると、植木方面へのサイクリングに時々使う道から少し西に下った所に「水口」を発見。
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地図で見るともう少し上流があるようなのだが、ここが坪井川の始まり。南阿蘇の湧水群と比べると水量はかなり少ない。しかもすぐに用水路の様な人工的な川となってしまう。 さて、そこから、できるだけ川に近い道を選んで川下方向へ進むことにする。 水源から一キロくらいの所に最初の橋があり、そこからの眺めを写真に収める。
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少しずつ川幅が広くなりながら田園地帯を進む。
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レンゲ畑の中を進んでいると、北バイパスの橋脚工事が進行中であった。この辺りから町並みが近づいてくる。
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しばらくして飛田バイパスの手前で堀川と合流し、急に水量が増えてくる。
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そこから一キロほど下ると、八景水谷公園があり、行楽客がちらほら。小学生の頃、よくここに遠足で来た。
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少し行くと、八景水谷からの湧き水が合流するが、残念ながら、ここが先日の女児殺人事件の遺棄現場となってしまった。
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しばらく進むと国道3号線の下をくぐる。
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写真を撮っていると、同じ年頃の、ランドナーに乗った人から道を聞かれ、しばらく一緒に走ることになる。まもなく坪井遊水公園に入り、彼は公園内を散策、わたしは3号線沿いのケンチキへと別れる。昼食後、竜南中学の裏から再び坪井川沿いの道に入る。ここらで子どもの頃よく遊んだ。写真の右上のマンションの向こうが実家。
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坪井に入ると民家が増え、川岸の道はほとんどなくなり、裏道を縫うように走る。
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信愛幼稚園のところに出て、再び川沿いの歩道を走る。上熊本に住んでいた頃、我が家の三人の子ども達が通った城東小学校を写真に収める。あの頃が懐かしい。
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そのすぐ先に、宮本武蔵の旧居跡の標識。
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しばらく走るとご存知、熊本城の長塀。坪井川の一番華やかな所かな?
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御幸橋をわたり、城彩苑前を通ると旅行客らしい人たちで賑わっている。桜橋をわたり川沿いの遊歩道を行く。第一高校の楠若葉が美しい。
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「あんたがたどこさ」に出てくる船場(洗馬)橋をくぐって、川は問屋街へ。小さい頃、父の知り合いの時計屋さんが川沿いにあり、店から川岸に降りることが出来た。この辺りは昔、川船で物資を運んでおり、昭和40年頃まではその名残があったが、いまはその面影もない。
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やがて川はくねくね曲がり、白川の横を添うように流れる。下の写真の左の堤防の向こうは白川。昔、坪井川はここで白川に合流していたが、加藤清正がここに石塘を築いて、坪井川の流れを高橋方面へ誘導したのだそうだ。 (加藤清正の時代、このあたりを流れていたのは坪井川ではなく井芹川で、当時は白川と井芹川を分流したことが後日判った。) 先には熊本駅前に新築中の40階建ての高層マンションがそびえる。
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やがてまた白川と離れ、鹿児島本線の下をくぐる。新幹線の架橋も見える。
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やがて、田崎を過ぎる頃には周辺に長閑な景色が広がるようになる。今日は金峰山も黄砂のせいか、少しかすんで見える。
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しばらくすると井芹川が合流し、高橋町に入る。家内の実家のあるこの町は町おこしが盛んで、今の季節、川に綱を渡して多くの鯉幟を泳がせている。
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さらに下ると小島に入る。この辺りになると、川岸に漁船が繋いであり、海が近いという雰囲気が出てくる。周辺の農地ではタマネギの収穫期を迎えており、時折タマネギの匂いが漂ってくる。
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西からの強い向かい風を受けて走っていると、ついに河口に到着。下の写真の右側が坪井川、左が有明海
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頭上の空は青空だが、島原半島はまったく見えない。有明海を眺めながら、ストレッチをして、白川の河口に廻り、白川の北岸を、追い風を受けて快調に走り、白山通りに出て帰った。 坪井川は20数キロのほぼ全長にわたり護岸工事で固められており、可哀相であった。
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