くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

坪井川昨今(番外編)

自転車ネタではないが、先週訪れた坪井川の源流「水口」の所にあった「熊本水遺産」と書いたプラカードがきっかけでわかったことがあった。 インターネットで「熊本水遺産」と検索すると「くまもとウォーターライフ」という、熊本市の水に関するホームページに辿り着く。
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このサイトは、熊本市が運営しており、熊本の水に関する数多くの広報活動を行っているのがわかる。そのひとつが「熊本水遺産」である。 この中で「熊本水遺産」は次の4つの事項をすべてみたすものとしている。 (1) 水に関係する有形又は無形のもの。例えば、湧水、湖沼、河川、井堰、庭園、食、地域の伝統的な風習、芸術、文化・芸能、方言・歌謡・民話など。 (2) 市内に存在するもの。ただし、人物については、本市ゆかりの故人であるもの。 (3) 本市の水の風土又は文化を構成し、又は特色付けるもの。 (4) 水を生かした本市の魅力づくりに寄与するもの。 現在、60件の水遺産が登録されているが、その中に坪井川関係のものは源水点の「水口」の他に、熊本城長塀前の坪井川、それに熊本駅近くの「石塘」があった。この、「石塘」の記載の所には「加藤清正は、城下町を洪水から守るため、春日付近で合流していた白川と井芹川を分離して、井芹川を高橋方面に向ける治水事業を行った。この分流のため築いた堤が春日、二本木地区に残る「石塘」である。日本で最も古い分流工事の一つとされている。」とある。 「ん?白川と井芹川の分流?・・・白川と坪井川の分流じゃないと?」と思って、質問のメールを出した。すると、熊本市環境保全局 環境保全部 水保全課の担当の方から、すぐに丁重な回答が届いた。それによると、加藤清正の河川改修以前の、白川、坪井川、井芹川の関係は、次の図(回答の添付文書より引用)のようになっていた。
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すなわち、白川が迂回して流れており、坪井川は白川に流れ込んでいた。そして井芹川は花岡山の東側を流れて、現在の全日空ホテルの近くで白川と一旦合流し、また分流していた。 加藤清正は、白川の迂回をなくし、坪井川を熊本城の水掘りとして利用し、井芹川に合流させた。
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その後、石塘を造り、白川と井芹川を分流化した。
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そして昭和初期の河川改修で井芹川が現在の、花岡山の北側の水路をとる際にそれまでの井芹川の下流部は坪井川となり、井芹川は上高橋で坪井川に合流する水路となった。 要するに、現在の小沢町より下流坪井川は、加藤清正の河川改修以後、昭和初期までは井芹川だったのだ。 以上のような事実から思うに、現在の坪井川の水源点から河口まで二十数キロの全長に渡る河川改修は、治水の名人・加藤清正の城下町に流れる河川の宿命だったのかもしれない。 子どもの頃よく遊んだ坪井川。その源水点から河口までを辿り、さらにネットを通じてその変遷までを知ることができた。大変意義深かった。