くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

熊本市南部の水遺産を自転車で廻る

今日は松橋インターの近くの工業団地で健康診断。昼前に終わるが、先週、研修日の木曜日に半日働いたのでその代休を午後とって、サイクリングに行くことにする。午前7時前、ロードバイクで出発。長袖のジャージにウィンドブレーカーを羽織って丁度良いくらい。出水ふれあい通りから東バイパスに出て右折。平成大通りとの交差点を左折。加勢川、緑川を渡る。緑川は今朝もとうとうと流れている。
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雁回山に向かって南下し、浜戸川を渡り、JAの四つ角を右折し、突き当たりを左折してウキウキロードに入る。松橋バイパスを左折し、しばらくバイパスを走り、当尾小学校へ左折し、松橋インター近くの工業団地内の健診会場に到着。ホンダの系列会社で、駐車場の車はほとんどがホンダである。
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この工場では四輪・二輪のクラッチ関連の部品を作っており、国内唯一(世界でも少数)の摩擦材の一環生産体制を敷いているそうだ。食堂の掲示板におもな製造品の写真が貼ってあった。
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午前8時半から11時半まで約90名の診察をこなす。じん肺業務に加え、特定化学物質(石綿)や有機溶剤の業務もあり、特殊健診が必要な従業員が多く、予想していたより疲れる。 昼飯は松橋インターの近くにある、インド料理店「SANJI(サンジ)」でとることにする。今回で3回目。
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「本日のおすすめランチ」をオーダーする。下のカレーとナンの他に、付け合せ(ナチョスのような)とサラダとホットチャイが付いて800円。
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店内には色々なスパイスが並べてあり、厨房からはインド人のお兄ちゃんたちのヒンズー語が聞こえ、なかなかエスニック。
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お腹いっぱいになって出発。国道218号線・県道181号線を西に進み、JR松橋駅に突き当たって左折。踏切を右折し、田んぼの中を進んで宇土の市街地に着く。突き当たりを左折して宇土高校の横を通り、その向こうにある、宇土城跡で一休み。「兵どもが夢の跡」という雰囲気。
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城内にはかつての城主、小西行長の像が立っている。
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彼はキリシタン大名で、秀吉の朝鮮征伐の時は、和睦派で、好戦派の加藤清正とは敵対関係になっており、関が原の時に、西軍について討ち取られてからは加藤清正小西行長の領地も支配することとなった・・・・云々を勉強する。 そこから1キロほどの轟水源にも立ち寄る。今日は珍しく、水汲みの客がひとりもいない。
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寄り道が多かったが、ここからが本日の目的、緑川と加勢川に向うことになる。轟水源から住吉方面へ、前日地図で見ていた道を当てずっぽうで進む。多少のアップダウンを進み、まずまずの所に出た。JR三角線の踏切を渡り、国道57号線を横断して北上し、緑川の河口に突き当たる。
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そこから川上に数百メートルすすむと水遺産のひとつ、「緑川河口の葦原」が見えてくる。
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丁度、五月。葦原では多くのオオヨシキリが、「ギョギョシ・ギョギョシ」と啼きながら盛んに縄張りを主張している。 やがて、ミニ鳥居で有名な粟嶋神社に着き、一休みする。
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走潟の交差点を左折し、平木橋を渡って右折し緑川・加勢川沿いの道に入り、六間堰を渡る。
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左折して加勢川と緑川に挟まれた道を上流に向かってすすむ。途中、桑の実が熟しているのを見つけ、食べる。
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ほんのり甘い果肉が口の中に広がり、子どもの頃の思い出が蘇る。今、「ニッ」と笑うと、歯が紫色になっているはず。それからもう少し進むと、今日の最大の目的地、「中無田閘門(なかむたこうもん)」に到着。
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昭和17年天明方面の農地に灌漑するために加勢川に六間堰が出来てたために、加勢川から緑川への船の行き来が出来なくなった。そこでできたのが、この「中無田閘門」である。水位の違う二つの川を行き来するための、水位調整プールが作られており、「熊本のパナマ運河」とも呼ばれている。
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さらに加勢川沿いの道を進み、九州新幹線および鹿児島本線を潜り、本日最後の水遺産、「川尻の船着場跡」を対岸から写真に収める。
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そのまま加勢川沿いの道を進み、流通団地から来た道に出て、あとは朝来た道を帰った。 本日の走行距離、68.2km。
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