「敬老の日」の本日も早朝サイクリングに出かける。
午前5時半過ぎにカーボンロードバイクで出発し、京塚経由で健軍駐屯地の東から木山往還を少し走って秋津川沿いの道に入る。
今朝の東の空は普通だけど、
西の空は薄い雲に覆われているせいか、最初ピンク色だった朝焼けが黄金色のように輝いていた。
秋津川沿いを東へ走ると、木山橋の架け替え工事が終了し、交通止めが解除されていた。木山神社の復興もかなり進んでいて、
倒壊した六地蔵は場所を50mほど南に移動して秋津川沿いの目立つところに再建されていた。
もう少し東へ進み、県道57号線へ左折して少し走り、「布田川断層帯(谷川地区)」の案内板から左折して、
坂を上がって駐車場のところの放牛地蔵に挨拶をしてさらに坂を上がり、
案内板から右に折れ少し進むと、
左手に目指す「左之目(さのめ)神社」。
この神社の由来については、「平家の大将・藤原景清が九州に落のびてきて、追手の源氏より身を守るため左目をくりぬき人相を変えたのでその左目を祀った」などの伝承があり、「生目の神」として崇敬されている、とのこと。
「藤原景清」という武将は当時なかなか有名な人だったらしく、全国各地に伝承が残っている。
なかでも「生目の神」なら宮崎市にある「生目八幡宮」が有名で、平家の藤原景清が「源氏の繁栄を見たくない」と自らの眼をえぐって投げ捨てたのが由来となっているらしい。
益城の、この神社がどうして「左之目」になったのかの真偽は定かでないが、「一説に細川家ゆかりの『澄之助君』が木山の梅屋を訪れ家来に代参させたということで評判になり、今でも遠方からの参拝者がある。」とのこと。
上って来た坂を下って、帰りは真新しい木山橋を渡って北へ走り、戸島の、こちらも地震で倒壊した後、すこし移動して再建された「日向(ひむき)の六地蔵」に挨拶し、高速道路をオーバーパスして国体道路に入って帰った。
本日の走行距離:26.3㎞