ロードバイクを車に積み込み、世界陸上の4X100mリレーで日本がタナボタの銅メダルを獲得したのを見てから一昨日行った城山(じょうやま)へ家内と一緒に車で上る。
ここにある家内の実家の墓の掃除を1時間ほど手伝い、自転車を降ろして、老人ホームに居る義母を尋ねる家内と別れてサイクリングに出発。
一昨日の、「寂心さん」めぐりの際に、廻るのをすっかり忘れていた、「霊巌洞」を目指して、松尾東小学校方面へ。 小学校の手前で左折しようとしたら、何やら目新しい看板が・・・。
ちょっと見てみようかと案内板に従って行くと、
なるほど、道を挟んで夫婦岩。
説明文によると、左側の岩石は明治中期の地震で転がり落ちたものだけど、それを追いかけるように昨年の地震で右側の岩石が落ちてきて鎮座したので、ここの住民が「奇跡の夫婦岩」として祀ることにしたとのこと。 ちなみにうちの夫婦は、地震の前までは一緒の部屋で寝ていて、地震の後に別の部屋で寝る様になったなので、逆バージョンというわけね。 ・・・道草はこれくらいにして、道を戻って、汗まみれになりながら「桧垣のこぼし坂」を上り、
「霊巌洞」方面へ。
坂を下り、
宮本武蔵像にお参りして、
さらに坂を下って雲巌禅寺から入場料200円を払って、五百羅漢の前を通って、
一番奥の「霊巌洞」へ。
宮本武蔵が晩年、ここに籠って「五輪書」を書いたことで有名だけど、元々、この洞には「岩戸観音」が祀られており、平安時代からお参りする人が後を絶たないという場所なんだそうな。 この洞窟の岩壁に、「鹿子木寂心の逆修碑」というのがあるらしい。 「逆修」とは聞き覚えのない言葉なので調べてみると、「自分より先に亡くなった年長者に対して冥福を祈る法要を追善(供養)というのに対し、生きている間に自分の死後に対して冥福を祈る法要を逆修(ぎゃくしゅ、逆修善・逆修法会)と称される。」とのこと。 霊厳洞に入ってみると、確かに、寂心の逆修碑の記載があるものの、
どれがそうか判らない。
お寺の方に伺ってみると、「今ではもう判別がつかない」とのこと。 少しがっかりして霊厳洞を後にする。
さらに坂を下って、「鼓ケ滝」のマイナスイオンを吸って、
県道101号線から県道1号線を左折して坂を上っていると、ランドヌールのHoriくんと遭遇! 少しお話をして、峠の茶屋方面へ走るというHoriくんと別れ、こちらは野出峠を越えて芳野中学校の先から右折し、坂の頂点から東門寺方面へ左折し、坂を下って、小萩園を経由して、
ゆうかファミリーロードを走って帰った。
本日の走行距離:35.2㎞