くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

「引込線」を走って・・・

JR豊肥線の渡瀬(わたるぜ)の踏切の辺りから京塚方面にかけて「引込線(ひっこみせん)」と呼ばれる通りがあるのを知ったのは高校生になって自転車通学をするようになってからだったかな? その「引込線」は現在の陸上自衛隊健軍駐屯地を含む地域にあった「三菱重工業第九航空機製作所」の専用鉄道線で、現在の水前寺駅の少し大津寄りから線路を引き込んで、その工場まで人や物資を輸送していた。

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戦後に廃線となり現在は県道228号線を含む道路となっている。 その「引込線」を走って、三菱重工業の工場跡地周辺およびその北側に隣接する健軍飛行場の跡地の周辺を散策することにする。

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(「九州ヘリテージ」より)

午前10時半過ぎ、シクロクロスバイクで自宅を出発。保田窪踏切から豊肥線沿いを走り、

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渡瀬踏切の先へ。

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この民家の辺りから引込線が始まり、

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南東方面へ。

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国道57号線(東バイパス)との交差点から

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20mほど南の住宅街の道路へと続く。

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少し走ると京塚へ。

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「ナニコレ珍百景」でも紹介された、「道路の真ん中のバス停」はその昔はこの引込線の「京塚駅」で向かって北側の道路が引込線跡。

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さらに細い道を進むと変則五叉路を経て、

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健軍駐屯地の北西の角に突き当たる。

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引込線は駐屯地の西側の歩道沿いを走り、駐屯地内へ。 次に健軍飛行場跡地へ。 健軍飛行場は実質的に「三菱重工業第九航空機製作所」の附属の飛行場であったが、旧陸軍によって軍用としても使われ、「義烈空挺隊」の出撃基地としても知られる。 戦後は昭和35年から昭和46年まで「熊本飛行場」として使用された。 健軍のダイキの交差点から県立大方面へ進み、新外の交差点の少し先から右折して健軍川に沿って走るとかつての健軍飛行場の外周を走ることができる。

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道なりに進んで冬田循環器科の先から左折し道なりに進んで

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大劇パチンコ長嶺店の所から南へ走ると飛行場跡を一周する。 この飛行場、かつて滑走路が今は熊本赤十字病院前の国体道路となっている。

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戦時中の遺構はほとんど残っていないが、たった一箇所、飛行機のシェルターであった掩体壕(えんたいごう)が住宅地の中にポツンと残っている。

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前のマンションの非常階段に上ってみると、残念ながら最近まで残っていたはずの「コ」の字型の盛り土は、いつの間にか整地されてしまっていた。

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さて本日の昼食はピアクレス(健軍商店街)へ。

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アーケードからちょっとだけ脇道に折れた所にある「虎徹」でお好み焼きを食べる。

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ビアン嬢Kさんから教えていただいたのだけど、ここの大将が自転車乗りで、このブログをいつも見ておられるとのこと。 聞けば、大将は38歳。

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3年前からロードバイクに乗っておられ、主に南阿蘇や矢部方面へ、時には店のお客さんたちとも一緒にサイクリングを愉しんでおられるらしい。定休日の火曜日には長い距離を乗るけれど、お店を開く正午の前に1~2時間ほど愉しむことも多いとのこと。

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また、歴史の本が好きで、店名の「虎徹」は司馬遼太郎の小説に出てくる日本刀の名前からとったのだと。 ところで大将の焼くお好み焼きは「関西風」で、

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ヤマイモの入った生地はホクホクして身体が温まった。

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「ご馳走様でした!具の変更など無理な注文にも応じていただき、ありがとうございました。また来ます!」 一時間ほどお邪魔して帰路へ。 桜並木の通りを北へ走って、

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再び「引込線」を走って帰った。

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本日の走行距離:21.2㎞

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