くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

清原元輔のゆかりポタ

『清原元輔(きよはらのもとすけ)』と聞いてパッとイメージが湧く人は、きっと古文にも郷土史にも詳しい人なんだろう。 昨年秋、『檜垣』の事を色々調べていて、檜垣に関係の深い人として清原元輔が登場した。 恥ずかしながら、この歳になるまで清原元輔が熊本にいたなんて知らなかった。

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清原元輔と言えば、平安時代の歌人。『三十六歌仙』の一人とか、『梨壺の五人』の一人とか言われれば、そんな事、大学受験の時に覚えたような気もする。しかし、現代の古文教育を受けたわれわれにとっては、彼の娘の清少納言の方が、やっぱりメジャーな感じがする。 百人一首の中の清少納言の歌は、『夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の関はゆるさじ』

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百人一首の清原元輔の歌。 『契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末(すゑ)の松山 波越さじとは』

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親子二代で百人一首なんて、凄い!思ったら、清原元輔の祖父、清原深養父(きよはらのふかやぶ)の歌も選ばれている。 『夏の夜は まだ宵ながらあけぬるを 雲のいづこに月やどるらむ』

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前置きが長くなってしまったが、そんな清原元輔にゆかりのある、熊本駅近くの『清原神社』、鼓ヶ滝の近くの『歌詠場(うたよみば)』、藤崎宮の歌碑、の三ヶ所を廻ることにする。 午前中は仕事が入って、午後2時頃にクロモリロードバイクで自宅を出発。目指す『清原神社』は北岡神社の北側にあるというのでその道へ。

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この道の右にあるはずだが、右側は低い崖。そこで、北岡神社の裏門の所に階段をみつけ、自転車を抱えて下り、路地を右へ進む。

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狭い路地の曲がり門のところに見つけた清原神社。

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清原元輔は肥後国の国司(今で言う県知事みたいなもの)として西暦986年(78歳!)に赴任している。その当時の国府(今で言う県庁)は現在の二本木にあったとされている。西暦990年(83歳)に彼は熊本で亡くなる。清原神社は、元輔を祭神としており、都に帰ることができなかった元輔の霊を慰めた跡と伝えられている。 清原神社から万日山トンネルをくぐり、井芹川沿いの道を進み、600匹の鯉幟が泳ぐ高橋の坪井川沿いを走る。

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県道237号線を渡り、上松尾の裏道を走って、松尾東小学校のところから『桧垣のこぼし坂』を上る。

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次々と襲い掛かる激坂区間に耐えて水場へ。

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そこからもう少し上って岩戸の里方面へ下る。今日は二の岳、三の岳も少し雲って見える。

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岩戸の里の八重桜。

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そこから少し下ってゆくと、左手に歌詠場の方向を指す案内板。

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100mほど砂利道を進むと広場に出る。

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ここからがどっちへ行けば良いか判らず、歩き回ってやっと案内板をみつける。

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進むと熊本水遺産の標識。

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その先に『歌詠場』の標識が朽ちて倒れている。

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どうもあまり整備されていないらしく、その先は獣道のようになっている。

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SPDシューズが滑らないように注意しながら進むと、そこには手摺などもあり、どうもここが歌詠場らしい。しかし雑木・雑草が茂り、眺望は利かない。

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滝の音が聞こえる方へ身長182cmのわたしが背伸びするとやっとこさ滝の端っこが見える。

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ここで清原元輔が詠んだと言われる歌(異論もあり)。 『音に聞く 鼓の滝を打ち見れば 山川の鳴るにありける』 案内板のところまで戻り、県道101号線に下りて鼓ケ滝へ。

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滝の近くから見上げる『歌詠場』。

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県道101号線から県道1号線を峠の茶屋方面へ。辺りではヤマフジが目立つ。

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峠の茶屋で休憩時、片足のワンちゃんをナデナデしようとしたら、『ウー(近寄んな)』と唸られる。

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すごすごと坂をおり、藤崎宮へ。 本殿の裏手左側にある清原元輔の歌碑。

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『藤崎の 軒の巌に生ふる松 いま幾千代の子(ね)の日過ぐさむ』 当時の宮廷人たちの間では、正月の初めの子(ね)の日に小松を引き抜き、その芽と若菜を共に食べて長寿を祈る風習があったらしい。 雲が晴れて急速に気温が上がり、五月のような陽気の中、明午橋を渡って帰路についた。 本日の走行距離:35.2km

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