今日、1月16日は「禁酒の日」。
昨年の秋、合志市に遺る「禁酒記念之碑」を二つ廻ったけれど、いつもチェックしている「自転車くまさん」のブログによれば、同様の石碑が合志市にもひとつ、それに合志市に接する菊池市泗水町田島にも、もうひとつあるらしいので、クロモリロードバイクに乗って見に行った。
ひとつめは、県道37号線を北へ走って、上生(わぶ)川を渡る前の交差点を左折したところにある合志市の上生集落。
そして、再び県道37号線を北へ走って合志川を渡る前の三叉路を左折して県道329号線を少し走った菊池市の南田島集落のお寺の横にも同様の石碑。
このふたつの石碑も「合志義塾」の影響によるものである。
日本は日露戦争の後、浮かれて、華やかな世相となってきたため、国民の団結や倹約を勧めるために天皇による「戊申詔書」が発された。
それに基づいて、合志義塾出身者の多い西合志村青年団を中心に禁酒の実行の誓いが行われたのだ。 ところで、1月16日が何故「禁酒の日」になったかと言うと、熊本で「禁酒之碑」が建てられたのと同じ約100年前の1920年(大正9年)1月16日に、アメリカで「禁酒法」が施行されたことに由来する。
アメリカの禁酒法は敬虔なキリスト教徒の活動によって始まった。
飲酒が社会の悪の根源だと信じたプロテスタントのおばちゃんが、
他のおばちゃんたちを引き連れて、讃美歌を歌いながら酒場に乱入し、斧でウイスキーのボトルを叩き割って廻った、なんて武勇伝も残っている。
このような草の根の活動もあって20世紀初頭までに18の州で禁酒法が実施されていたが、これが全国的なものとなった。 社会の悪を根絶すると期待された「禁酒法」だけど、密造アルコールがマフィアの資金源などになり、逆に政府は酒税分の税収が減って困ってしまったり、何と言ってもアルコール大好きの人たちの強い反発もあって1933年に廃止された。
振り返って、旧西合志周辺の禁酒運動がその後どうなったかは情報がないが、合志市内の酒屋さんの店先では未成年でもアルコール飲料が買える自販機が置いてある現状を見たら、
当時の合志義塾関係者は、さぞや嘆いていることでしょうな。
本日の走行距離:36.7㎞