梅雨の中休みと言う感じなのでサイクリングに出かけることにする。目的地は南阿蘇村の水害の石碑5カ所。
朝、5時過ぎにカーボンロードバイクで出発し、東バイパス、北バイパスから県道145号線に入り、ひたすら東へ。
大津東小学校の所で白川を渡り、
瀬田から坂を上り、国道57号線を渡って南阿蘇村立野へ上がる。スイッチバックの豊肥線の踏切をふたつ渡り、激坂を上がった新所地区の墓地の前に立つ慰霊碑へ。
2012年7月の九州北部豪雨では県内で25人の犠牲が出て、南阿蘇村立野では斜面の土石流によりこの地区の男性2名が命を落とした。
坂を下って弁当のヒライのところで国道57号線を渡り、周りの景色をなるべく見ないように長陽大橋を渡り、
右に折れて小山旅館を経由して旧道に入る。
昭和28年6月26日の水害では熊本県内の被害は死者332人、行方不明者166人、り災者総数は約50万人とも言われている。
南阿蘇村での被害は、当時の白水村では死者・行方不明者44人、家屋被害257戸、久木野村では死者5人、家屋被害4戸、長陽村では死者・行方不明者16人、家屋被害126戸となっており、現在の南阿蘇村管内での合計は、死者・行方不明者65人、家屋被害387戸と甚大な被害を受けた。
長陽駅への入り口のところの少し先から左に折れ、坂を少し上がったところにある川後田集落センター横に「水害記念碑」が立っている。
川後田集落では山津波により全域が壊滅的な被害を受け、6名の尊い命が奪われた。残った住民は懸命に復旧に努め、災害から12年後の昭和38年6月にこの碑が建てられた。
坂を下って旧道に戻り、さらに東へ進んで六地蔵のところから塩井社水源方面へ左折して、
交差点から右折して少し進んだところにある南阿蘇村中松の「松の木公民館」の角に「水害の碑」が立っている。
松の木集落も全域が被害を受け、特に峯古屋敷地区では死者7名、行方不明2名を始め、多くの家屋、田畑が流失した。災害から20年経過して昭和48年6月26日にこの碑が建てられた。
坂下って再び旧道に戻って西へ走り、中松交差点の少し先の南阿蘇村一関に建つ「水難の碑」。
旧・白水村では死者26名、行方不明者18名を始め家屋、農地、牧野、家畜に甚大な被害を受けた。その後、ここに水難の碑が建てられていたが、6.26大水害を風化させず後世に伝えるためにこの碑が平成16年に建て替えられた。
旧道をさらに西へ進み、小池水源方面へ右折し、吉田城跡を経由して南へ進むと吉田地区の墓地の裏手に「水害記念碑」が補強されて建っている。
碑の側面には、この地区で殉難した11名の名が刻んであった。
帰路は南郷谷の水田地帯を貫く道を進み、
白川を渡って県道149号線を北上し,旧道を北上し、小山旅館を経由して長陽大橋を渡り、国道57号線を下り、瀬田へ下り、
朝来た道を戻って帰った。
本日の走行距離:80.9㎞