昨夜は水前寺成趣園の能楽殿で、「出水神社薪(たきぎ)能」を鑑賞してきた。
今年は「紅葉狩」という演目で、平安時代中期の武将・平維茂(たいらのこれもち)の鬼退治を描いたもの。
今回が59回目になるという「出水神社薪能」ではあるが、実は能楽というものをこの眼で直に見るのは、これが初めて。
これまで能楽にはあまり興味がなかったが、中学・高校時代の同級生が熊本で能楽師をやっており、今回の薪能に先立って、隣接する「玄宅寺」でトークショーをやり、「能楽とは?」、
「能楽と医療(生命)との関係」など、能楽のイロハを教えてくれるというので、高いチケット代を払って勉強しに行ったのだ。
能楽に造詣の深い東京大学病院のお医者さんとの軽妙なトークや、質疑応答など、時折、実演を交えて約2時間の座学が繰り広げられた。 お蔭で、場所を成趣園内の能楽堂に移しての午後6時半からの公演では、観阿弥・世阿弥以来、連綿として受け継がれてきた「幽玄」の世界を垣間見ることができた。物凄く蒸し暑くって、最後は生憎のにわか雨だったけれど・・・。
さて、その同級生の話によると、熊本は全国でも能楽の盛んなところなんだそうな。 元々、日本人には馴染みの深い「高砂」や、
傑作のひとつされる「桧垣」など
肥後の国に所縁のある謡曲があった。 加えて、加藤清正を始め、
細川家が能楽(当時はまだ「猿楽」と呼ばれていた)熱心に庇護した歴史がある。 本妙寺の参道にある妙心院は、
加藤清正公に伴われて来熊した金春流の武家能役者・中村靭負とその一族、及び共に活躍した友枝家、
小早川家の菩提寺で、
「役者寺」とも呼ばれている。
維新後は武家というパトロンを失って全国的に衰退傾向にはあるものの、伝統を守って今に至っており、県下には出水神社の能舞台の他にも、藤崎八幡宮、
かつて藤崎八幡宮があった藤崎台の段山御旅所、
さらには河尻神宮、
菊池神社の参道に隣接して能楽堂が残っていて、
神事の能楽が行われている。この他にも、かつて国府が置かれた二本木の近郊にある北岡神社でも長年、能楽が演じられている。
そんな訳で今朝は藤崎宮、本妙寺、段山、川尻の能楽堂やお寺を廻って、陽が高くなる前に戻った。
本日の走行距離:31.6㎞