くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

「西住戦車長」今昔

4年ほど前に軍神・松尾敬宇中佐の所縁の地を廻ったが、「軍神」と呼ばれる人なら熊本にもうひとりいるのでその所縁の地を廻って来た。

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(めど町橋からの緑川)

場所は緑川沿いの甲佐町。大井手沿いの街並みから

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少し外れると一面の田圃がひろがる中にある「西住(にしずみ)公園」。

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ここに顕彰されているのが、国産初の戦車「八九式中戦車」の司令塔(キューポラ)から身を乗り出す軍神・西住小次郎大尉の像。

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その後ろには自ら嗜んだという和歌や、敬愛した吉田松陰の歌碑も控え目に建っている。

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公園内には「陸軍少年戦車兵学校同窓一同」による記念樹も植えられていて、共に闘った戦友の絆の強さを感じさせる。

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西住小次郎は大正3年、甲佐町仁田子に生まれた。甲佐尋常小、

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(現在は町立甲佐小学校)

旧制御船中を経て、

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(現在は県立御船高校)

陸軍士官学校に入学。昭和12年に支那事変が勃発すると久留米戦車第一連隊の小隊長であった西住小次郎中尉(死後大尉に昇進)は前線に配属され、昭和13年5月17日に徐州郊外のクリーク(運河)を渡河中に流れ弾に当たって戦死するまでの間、30回以上の戦闘に参加した。

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西住中尉が指揮した戦車には千発を超す被弾痕があったと伝えられる。

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軍の意向を受けて菊池寛が執筆した小説「西住戦車長伝」が

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東京日日新聞・大阪毎日新聞に連載され、1940年(昭和15年)松竹により映画化され、上原謙(加山雄三の父)が西住役として主演している。

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戦時中、壮烈な戦死を遂げた多くの軍人が神格化されたが、軍から公式に「軍神」として指定されたのは西住が最初であった。

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太平洋戦争末期、西住と同じ戦車第1連隊の機甲兵将校だった作家・司馬遼太郎は、戦後『軍神・西住戦車長』というエッセイを発表し、「西住小次郎が篤実で有能な下級将校であったことは間違いない」と認めつつも、「この程度に有能で篤実な下級将校は、その当時も、それ以後の大東亜戦争にも、いくらでもいた」とし、それにも関わらず西住が軍神になりえた理由を「彼が戦車に乗っていたからである」「軍神を作って壮大な機甲兵団があるかのごとき宣伝をする必要があったのだ」と推察している(Wikipediaより)。 戦後70年を過ぎ、西住戦車長の武勲を知る者は地元の熊本でも少なくなってきた一方で、西住戦車長の知名度は一部の若者を中心に急上昇しているらしい。

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人気アニメ『ガールズ&パンツァー(通称、「ガルパン」)』の影響だ。

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この「ガルパン」とは、大和撫子の嗜みとして「茶道」や「華道」ではなく、戦車による模擬戦である「戦車道」を極めようと奮闘する女子高生達を描いたもの。

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その主人公は熊本出身の「西住みほ」で、戦車道の流派を「西住流」と設定している。

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(当然ながら彼女も「軍神」と呼ばれている)

わたしなんぞから言わせると、「はぁ?」というようなストーリー設定であるが、Wikipediaによれば、「兵器である戦車を女子高生たちが運用するという、男性のアニメファンにアピールするようなミリタリーと萌え要素を併せ持ちつつも、死者の出ない戦闘とスポーツものの約束事を踏襲した物語が描かれ、戦争と死といった背景から切り離された戦車戦を描いている」ような所がウケているらしい。 「西住みほ」が郷里・熊本を回想するシーンでは、まさに西住公園の周辺のような景色が広がって描かれている。

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こうして西住公園は、「ガルパン」ファン達の『聖地巡礼』の地として注目されるようになった。

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(胸像の横には「ガルパン」ファンが置いたと思しきフィギアが並ぶ)

これにはさすがの「軍神」もビックリしていることだろうね。

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本日の走行距離:ちょうど50.0㎞

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