くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

よっぴいてひょうどはなつ

平家物語の屋島の戦いでの「扇の的」の一節。

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今回のブログタイトル「よっぴいてひょうどはなつ」とは、義経の命を受けた那須与一が、平家の官女が手招きする船上の扇に向って、鏑矢(かぶらや)を放つ瞬間の描写である。 この時、船上で手招きをしていた平家の官女は「玉虫御前」と呼ばれており、たいそうな美人だったとか・・・。

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その「玉虫御前」は、なんと、現在の御船町玉虫の出身で、平家滅亡の後、故郷に身を寄せ、尼となり一寺(玉虫寺)を建て、平家一族の菩提を弔ったと言い伝えられている。 最近になってその事をネットで知り、先日、山都のチポリーノに行った際に御船町の玉虫寺を訪れた。 御船町の国道445号線を山都方面へ走り、マミコゥロードの交差点を右折し甲佐方面に進む。

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玉虫団地へ右折するところで、左へ細い道を200mほど進んだ左手に「玉虫公民館」がある。

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その裏にあるのが玉虫寺である。

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(解説文の最初の行、「壇浦」と書いてあるけど、「屋島」の間違いですな)
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この玉虫御前には、もうひとつ言い伝えがある。 『平家滅亡の後、玉虫は鬼山と名を変え、弟久茂と五家荘に通じる柿迫村岩奥に落ち延びた。平家一族の追討を命ぜられた那須与一の嫡男・小太郎が五家荘に入るのを柿迫村保口まで追い、引きとめて暮らすうち、二人の間に愛が芽生えて結ばれた。・・・』 「扇の的」で絡んだ糸がねじれて、那須与一の息子と玉虫(鬼山)御前が結ばれる、というのが面白い。 そこで今日は、玉虫(鬼山)御前の足跡を追って泉村柿迫の保口地区と岩奥地区を訪ねることにする。 午前7時過ぎにクロモリロードバイクで出発。出水ふれあい通り経由で中の瀬橋を渡り、めど町橋を渡ってすぐ左折。緑川沿いの道をひたすら走って甲佐町のセブンイレブンで食料を調達。国道443号線を南下し小筵の交差点を直進し、桜並木の中を走る。

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氷川ダムの手前で県道52号線へ左折。

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八代農高泉分校の先から右折し、三本木峠を目指す。

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渓流のせせらぎを、時に近く、時に遠くに聞きながら坂を上ってゆく。立ち漕ぎしないといけないような勾配はないけれど、クネクネと距離の長い上り坂が続く。

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途中の水場で休憩。

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その後もひたすら上って、峠らしいところに到着。標識などは見当たらない。

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1008さんのブログにも書いてあったが、どうもこの辺りが峠らしい。路傍に古いお地蔵さんもあるので間違いなさそう。

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そこからもう少し上り、下りへ。路面が荒れて落石も多く、グレーチングも所々に牙を剥いている。

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しばらく下って、目的地の保口地区にある鬼山御前の祠に到着。

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鉄製の階段とスロープを登ると、割に新しい祠が建っており、その扉を開けると中央に鬼山御前の石像が祀ってある。

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見事なおっぱいと思ったら、鬼山御前は巨乳だったとのこと。母乳も良く出て、多くの子どもを育てたため、こうして『乳の神様』として祀られており、祠のすぐ横で湧いている水は、飲むと母乳がよく出る「乳水」として珍重されている。また、この水はイボにも効くらしい。

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お参りをして、「鬼山御前の乳水」を飲んで、道をさらに下る。 国道445号線に突き当たり左折。

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五木ダムを過ぎて、五家荘の五つの集落のひとつ「椎原(しいばる)」を抜け、五家荘郵便局の先から左折して県道52号線に入り、一旦下って川を渡り、その後はひたすら坂を上る。菅原道真の末裔が住んだと言われる「仁田尾」の集落を抜け、左に見える栴檀轟の滝を遠目から写真に収める。

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さらに上って栴檀の滝の、誰も居ない駐車場のところでトイレ休憩をしていると、風景と同化していた老女に呼び止められ、「うどん食べて行かんね?猪うどん作ってやるよ。うまかよ~。」・・・その言葉が呪文のようになって思わず店内へ。

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言われるままに茶など自分で入れて、蕗の煮付けなど食っていると、今年かぞえで93歳になるという、奥川すみこさまが美味しい猪うどんを作ってくれた。

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付け合せは山わさびの漬物で、ぴりりと美味い。猪の肉が柔くってコクがあって、黙々と食って生き返った。しまった!所持金が少ないのに値段を聞いてなかったと恐る恐る聞くと、「950円ばってん、700円にまけちゃる」。ありがとうございました。非常に美味しかったです、はい。すみこさまがひとりで寂しそうにしているので、すっかり話し込んでしまって店を後にする。 猪のように残りの坂を上ろうとしたけど、やっぱり息切れして笹越峠をトンネルで通過。

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坂道を下って、水場で休憩し、肩をほぐす。 平家の落人達や追討の源氏の武将もこの水で喉を潤したのだろうか?

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坂の途中にある岩奥地区。ここにしばらく身を隠してた訳ね。

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さらに坂道を下り、泉第三小学校を経由して朝来た道に戻る。後はひたすらほぼ同じ道を帰った。

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本日の走行距離:140.7km・・・あー疲れた。

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