くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

行く秋を偲んで紅葉と山頭火めぐり

五十歳半ばを過ぎると、人生一歩先は闇。来年の紅葉が見れる保障はないので、過ぎ行く秋を偲んで熊本市内の紅葉を見に行く事にする。 ネットで情報を集めると、いくつかスポットがあるが、その中のひとつに植木町の味取(みとり)観音堂がある。みきたかさんが昨年、観音堂に行ったレポートを観たが、確か、そこは流浪の俳人・種田山頭火ゆかりの寺。 山頭火の事は余り知らないので、勉強する。 山頭火は、明治15年、山口県防府市に生まれた。早稲田大学文科を中退し、父と共に家業に従事したが失敗し、それから流浪の生涯が始まった。熊本に来たのが大正5年、彼が35才の時であった。酒にひたって家業を顧みず、上京したり帰熊したり奔放な生活を続けていた。大正13年、出家して禅僧となり翌年、味取観音の堂守として、読経と句作の独居を続けた。観音境内の句碑に刻まれた『松はみな枝垂れて南無観世音』の句は、当時の作である。しかし、ここも永くは続かず1年2ヵ月にして去り、以来、放浪生活を送り昭和15年10月11日、四国松山市の一草庵で波瀾の生涯を閉じた。59才であった。   山頭火は荻原井泉水の俳誌『層雲』によって自由律の俳句をよんだ詩人で『鉢の子』をはじめ七句集やぼう大な日記類があり、「山頭火全集」まで出版されており、日本の俳句史上特異の地位を占めている。 平成13年10月22日 植木町教育委員会 (現地案内板より転載) 午前9時30分頃に、クロスバイクで出発。まずは、新屋敷経由で明午橋を渡り、藤崎宮前の歯科医師会館の少し北側にある、報恩禅寺を訪れる。

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ここは山頭火が出家した禅寺。中に入ると右手に山頭火の句碑が立っている。

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けふも托鉢ここもかしこも花さかり 耕畝(山頭火の出家名) 坪井の裏道を通って坪井川沿いの道へ。市民会館前の銀杏が色づいている。

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新町を経由して横手の六角堂の南にある安国禅寺へ。

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ここには種田家の墓がある。山頭火の墓は山口県にあるが、彼の骨も分骨されている。寺の坊守さんに場所を聞いてお参りする。

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そこから、島崎の紅葉を観に行く。 先ずは叢桂園

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次に釣耕園

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最後に三賢堂

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そこから、ゆうかファミリーサイクリングロードに入り植木へ。久しぶりにJR植木駅手前の階段を登る。

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植木駅で休憩後、一般道へ。国道3号線に出て北へ走っていると昼飯時となり、紅葉が綺麗な「うどんの吉野屋」へ。

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注文を取りに来たおねえさんお薦めの味噌カツ定食を注文。

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お腹を満たして、国道3号線をもう少し北に走り、植木インターへ下る前の歩行者用信号の所で左折すると味取観音堂(曹洞宗瑞泉禅寺)に到着。山頭火の石像が出迎えてくれる。

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険しい参道の周辺には紅葉が多く、目を愉しませてくれる。

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みきたかさんに倣って、次は小野泉水公園へ。

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最後に立田山憩の森へ。 お祭広場

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そらから管理棟周辺

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五高の森方面へ降り、

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竜神橋を渡って帰った。 本日の走行距離:53.4km

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