くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

火の国レガッタと江津湖畔の文学碑

海の日(今年は7月16日)には毎年、江津湖で、『火の国レガッタ』が開催される。

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多くの人にボート競技を体験してもらうための競技会で、日頃、競技用のボートなど漕いだことのない大人や中学生が中心のレース。うちの職場では、理事長が県のボート協会の役員をしていた関係で、この二十年ほど毎年出場している。

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今年は成年男子の部に4チーム、成年女子の部に2チームをエントリー。 当日朝、早起きして、通勤用のクロスバイクで下江津湖へ。 今年は自転車仲間のペプシンさんが参加を希望されたので、わたしも5年ぶりくらいにオールを漕ぐことになった。その他の漕ぎ手は女性二名で、男女混合チームなのだが、そういう部門はないので、成年男子のレースに出場。

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初戦敗退のつもりで気楽に漕いだら、なんとスルスル勝ち進み、なんとなんと準優勝!!

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(詳細はペプシンさんのブログを参照していただきたい。) 打ち上げも終わって、江津湖畔をクロスバイクで帰っていると自転車道沿いに、いくつも文学碑が建っているので、写真に撮り、家に帰って勉強する。

 

ひるがへる ときの大きさ 夏つばめ

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宗像 夕野火(ゆうのひ)という俳人の作品。宗像(1922~?)は、熊本県多良木町に生まれ、俳誌 「みそさざい」 同人。『水神』、『尼羅』等の句集を出版している。

 

江津の田の 靄うすうすと 十三夜

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志賀青研(健一)の句。志賀(1913~1996)は、熊本市に生まれ、熊本商業高校を卒業後、NHKに勤務。田辺夕陽斜に師事し、「ホトトギス」 同人。句集『芭蕉林』を出版している。

 

はなびらを 幾重かさねて夜桜の あはれましろき 花のくらやみ

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安永蕗子(ふきこ) の歌。正直言って、達筆すぎて何て書いてあるのかまったく読めなかった。 安永(1920~2012)は、熊本市生まれの歌人で書家。歌誌「椎の木」を主宰。歌集に 「魚愁」「青湖」 などがあり、江津湖を題材とした歌は多い。宮中歌会(天皇陛下はじめ、皇族が歌を詠む)の始選者を約10年間務めた。 6~7年前だったか、彼女の講演会を一度聴いたことがある。歯切れの良い、矍鑠(かくしゃく)とした女性であった。

 

蜻蛉に 空あり人に 汀(みぎわ)あり

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藤崎 久を(久男)の句。 藤崎(1921~1999)は、熊本市生まれの俳人で 「阿蘇」 を主宰。句集に 「風間」「花明」 などがある。

 

天霧(あまぎ)らひ 雪降る湖に寂かなる 光はありて 鴨ら相寄る

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綴 敏子 の歌。綴(1917~2006)は、熊本市生まれ。慶応大学文学部を卒業後、第一・第二高等学校などの教師を勤めた。短歌詞 「公孫樹」 主宰し、短歌・随筆など多くの著述を成している。万葉集の研究でも知られている。

 

つゝじ咲く 母の暮しに 加はりし

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中村 汀女 の句。中村(1900~1988)は、熊本市(江津湖のほとり)生まれ。県立第一高女(現第一高校)卒業後まもなく俳句を始め、結婚・子育てのため句作を中断後、再開して「ホトトギス」同人となり、戦後「風花」を創刊主宰。家庭的な日常の中に、深い叙情性をおびた句を詠み、多くの家庭婦人を俳句に親しませた。わたしの祖母も「風花」の同人で、私がまだ幼い頃、何度かお目にかかったことがあるが、子ども心にも「品の良さ、気高さ」を感じさせる女性であった。

 

産卵の 鯉の刎(は)ねをり 江津朧 (おぼろ)

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阿部 小壷(しょうこ)の句。阿部(1909~1981)は、熊本市に生まれ。身体が弱かったので中学を中退し、家業の味噌・醤油醸造業に携わり、熊本市議会議員を4期務めて市政発展にも寄与。また、熊本信用金庫理事長も勤めている。 「ホトトギス」 の俳人としても 「阿蘇」 を主宰、句集に 「肥後住」 がある。

 

縦横に 水の流れや 芭蕉林

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高浜 虚子の句。高浜(1874~1959)は愛媛県生まれ。伊予尋常中学校で河東碧梧桐と同級生となり、彼を介して正岡子規に師事し、俳句を学ぶ。「ホトトギス」の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。夏目漱石とも親交があり、中村汀女も高浜に師事した。 句碑の周辺には芭蕉が生い茂った一角があり、一瞬、どこか南の国にいるかのような錯覚に陥る。

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江津湖の自然は、俳人・歌人達の感性を刺激する多くのものを持っているようだ。 江津湖にどっぷり身をゆだねた一日であった。 後で調べると、夏目漱石の句碑をはじめ、いくつかの石碑を見逃していた。

 

勉強した主なサイト:熊本文学散歩無門塾