くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

後藤是山の句碑めぐり

朝8時前にクロモリロードバイクで句碑めぐりに出発。

京塚から健軍自衛隊を経由して県道226号線を南下し矢形川を渡ったら左折して、

浮嶋神社を経由して

サントリービール工場の丘を越え、田舎道を走って御船へ。

甲斐宗運が居城とした御船城へ上る。

城山公園として整備された城内の中央にあるのが後藤是山の句碑。

「とりよろひ 霞たなびく 旧山河」

 

後藤是山(本名:裕太郎)は新聞記者として、文化人として文学や芸術、演劇から歴史まで文化の新風を熊本に送り込んだ。

後年は多くの役職を併任していて、熊延鉄道(ゆうえん)の仕事も委嘱していた。

熊延鉄道は、熊本市の南熊本駅から御船、甲佐を通り、砥用町(現・美里町)の砥用駅までを運行していたが1964年(昭和39年)に廃止された。

鉄道事業はバスに転換し、社名を熊本バス株式会社として再出発するに当たり、荒廃していた御船城址を整備して公園化した。その記念に句碑を建立したもの。

ちなみに、園内には当時の熊延鉄道の社長の胸像も建てられていた。

御船から田舎道を走って嘉島を抜け、ちょっとだけ御幸笛田に寄り道をして、

ミツマタの花

 

東バイパスを東へ走って江津塘を北上し、水前寺公園の近くの後藤是山記念館へ。

ここの庭にも句碑が建っている。

昭和25年に建立

 

「落葉炊く凡庸の山眺めつつ」の句が刻まれている。

是山は若い頃から短歌を詠んでおり与謝野晶子に師事し、東京へ遊学中は高濱虚子と交友し、その後は「かはがらし」、「東火」といった俳誌を主宰し、県下の俳句の振興にも精力を注いだ。

ところで、この記念館で、もうひとつ句碑があることが判明し、そちらへ行くことに。

場所は出水小学校裏の墓地で、そこには昭和61年の6月、100歳の誕生日の4日前に亡くなった後藤是山の墓碑が建っている。

「五月晴 百歳の壽を ことほがれ」と刻んだ句碑が墓石の横に建てられた。

そこから市街地を北へ走って最後は藤崎八幡宮へ。

本殿裏に後藤是山の句碑が建っている。

 「初茜 神話の阿蘇を 東に」

藤崎八幡宮からは、いつものように白川沿いに帰った。


本日の走行距離:43.2㎞