くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

寒空の句碑めぐり

朝方の雨が上がって気温がグッと下がってきたけど、昼から少し陽が射してきたのでクロモリロードバイクで出発。

白川沿いに走って世継橋の袂の慶徳公園、

そこから浜線バイパスを南下して

東バイパスを東へ進んで下江津の湖畔を走り、

動植物園から庄口公園を抜けて健軍神社を経由して合計三つの句碑を見学して帰った。

 

まずは慶徳公園の「草野駝王・有働木母寺 友人句碑」。

左側の句の作者の有働木母寺(うどうもっぽじ:1901(明治34年)~1994(平成6年))は熊本市生まれ。熊本県立商業学校時代から作句を始め、その後、俳誌「ホトトギス」などに投句を行なうようになり、昭和5年に俳誌「阿蘇」を創刊。戦後は「水葱(なぎ:ミズゾアオイ)」を創刊主宰した。生まれ住んだ火の国熊本の風土に根ざした作品を多く生みだし、後年は病の床にありながらも後進の指導育成にあたった。

石碑の句は:白は濃く 紫淡く 夏桔梗

 

一方の草野駝王(だおう)は本名が唯雄(1901(明治34年) 〜 1977(昭和52年))で、同じく熊本市の生まれ。大正6年頃から俳句を学び、8年には「ホトトギス」に初入選し、以降は高浜虚子・年尾の指導を受けた。昭和3年朝鮮に渡った後も作句を続け、昭和20年に引き揚げて久留米に住み、昭和24年からは「水葱」の選者となる。49年博多に転居し余生を過ごした。

石碑の句は:青桐の わがふるさとは 暑からめ

この句碑は俳誌「水葱」の創刊300号を記念して昭和53年8月に建てられたとのこと。

 

その次に訪れた江津湖畔にも有働木母寺の句碑が建っている。

流れゆく 水葱(なぎ)に照り添ひ 江津の月

ちなみに、有働木母寺の末弟の有働亨も高名な俳人らしい。

 

最後に訪れた健軍神社の前の角地には「西南の役 熊本隊出陣の碑」があって、

その横に見事な句碑が建っている。

早春の雲は流るる形せり ゆう二

西南の役の薩軍に加勢を始める熊本の若者を詠んだと思われるこの句の作者の岩下ゆう二は本名が岩下雄二。明治44年熊本市の生まれで、済々黌東洋語専等の教職を経て戦後熊本日日新聞論説委員となり累進して同社の会長となり「日本記者クラブ賞」を受賞。俳句は中村汀女に師事し、俳誌「風花」の同人会長を務めた。昭和62年には熊本県近代文化功労者にも選ばれている。

前述の二人の俳人はお顔を拝見したことがないが、わたしの母が長年「風花」で句を詠んでいたこともあり、この岩下ゆう二氏には何度かお会いしたことがある。愛嬌のある表情を思い出しながら北風に向かって帰った。

本日の走行距離:17.7㎞