くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

川尻町ポタリング

黄金の連休も後半に突入。今日は大分で「ツール・ド国東」が開催されており、熊本在住の自転車乗りも大挙して出場しているようだが、当方は朝から「カーネーション総集編」の「前編」を泣きながら見ておった。その後も、うだうだして、昼飯の後、クロモリ・ロードバイクで出発。 まず、合志市須屋に用事があるが、通勤路なので、いつもとは違う道で行きたくなる。北バイパスに入ってすぐ県道337号線に下り、東へ。JR武蔵塚駅の先の踏切から左折。武蔵ケ丘団地内を通り、「元気の森公園」でひと休み。
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そこから須屋方面へ。しばらく堀川沿いの道を進み、県道49号線に入り、新地団地の裏へ。ここでは休耕地に秋はコスモスが植えてあるが、今はポピーが植えてある。
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北バイパスの近くの知人宅に寄り、北バイパスからいつもの通勤路を帰り、自宅に荷物を置いて再出発。 明後日、職場の有志でサイクリングをするので、その下見に川尻町へ行く。いつものように、水前寺公園経由で出水ふれあい通りを南下。東バイパスを横切る。
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用水路から右折し、浜線バイパスを左折。加勢川北岸の道に入る。
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そのまま道なりに進み、久しぶりに大慈禅寺に行ってみようと、野田堰を渡ってみる。
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ところがこれは失敗。緑川沿いの道に出て、結果的に回り道して大慈禅寺に到着。
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かつては曹洞宗の九州総本山だったらしく、いくつものお堂。
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種田山頭火の句碑も。
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「まったく 雲がない 笠をぬぎ」と読むのだそうだが、達筆過ぎる。山頭火を出家させた和尚がこの寺に在住していたらしい。 国道3号線を横切り、突き当たって右折し、新町橋を渡り、川尻船着場へ。
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次に船着場の隣にある「川尻の御蔵」を訪問。
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ここには日本に4箇所しか残存しない、藩蔵が2棟残っている。
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そこからすぐの有名うなぎ屋の横に西南の役の時の薩軍本営跡の「南洲翁本営跡」。
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そこからすこし東へ進んで左折すると小路町に入る。なかなか雰囲気のよい小道。すぐ右側に「本陣跡(小路町の待賓館跡)」の標識。
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薩摩藩相良藩の参勤交代時の休憩所。篤姫もここで休憩したのかな? しばらく進むと「無田川」が横切っている。
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さらに進むと右側に「木村政彦を育てた道場跡」。『木村の前に木村なし、木村の後に木村なし』の無敗の柔道家木村政彦が幼少期に通った道場跡。
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ちなみに彼の墓は大慈禅寺にあるらしく、先ほど探したが、見つけることができなかった。 さらに進んで左側、川尻小学校の校門から入ってすぐ左側の道脇に「川尻鎮撫隊本営跡」の石碑。薩軍が本陣を置いたため、治安を維持すべき警察等が逃げ出し、川尻が無法地帯となり、それではいかんと地元の有志達が中立の自衛団を組識した跡だと言う。
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そこからすぐ旧道に入り、右折。新町橋を渡り右折。加勢川の南岸に入る。
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やがて熊本のパナマ運河、中無田閘門に到着。
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そこから六間堰までの、+Cの財津店長がこの春何度も通った「菜の花の道」。
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今はわずかに菜の花が残るのみだが、代わってアザミの紫やノイバラの白などの色どりが増えている。
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六間堰を渡って左折。明後日は平木橋渡り、粟嶋神社、轟水源方面へ行くが、今日は時間切れ。 中緑小学校の所から右折し、ひたすら北上。白川を渡り、高橋町へ。
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稲荷橋の前で右折し、坪井川沿いの道を進み、田崎の陸橋の所に出て、白川沿いの道に入る。
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いつものように新屋敷経由で帰った。 本日の走行距離:62.0km
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ついでに川尻界隈の拡大図も・・・
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