くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

江津湖畔の文学碑めぐり

今朝は5回目のワクチン接種を受けたので、控え目に江津湖へサイクリング。

帯山から水前寺をかすめて、県庁プロムナードのイチョウ並木の色付きをチェックして

江津湖畔の県立図書館に併設されている「くまもと文学・歴史館」へ。

ここでガイドマップを調達。

現在、江津湖畔には15基の文学碑が建っているが、そのうち、まだ見てない3つを廻って来た。

音のよさ まいっ時櫓で 漕いでくれ        冨永 兆吉

肥後狂句は、「笠」と呼ぶ課題の言葉に七・五を付けて日常や時事ネタに風刺やユーモア、機微を盛り込んだ熊本独自の文芸。「野卑に陥らず 低俗に堕せず」と言った、節度を守る暗黙のルールもある。

冨永兆吉(1924-2012)は大正13年に熊本市に生まれた。県庁職員として勤務の傍ら昭和30年頃この肥後狂句界に入り、50年以上に渡って携わり、肥後狂句の大会や地元新聞・テレビの肥後狂句コーナーでは選者も務め、第三代肥後狂句連盟会長として肥後狂句の振興に努めた。

 

流れゆく 水葱(なぎ)に照り添ひ 江津の月   有働 木母寺(もっぽじ)

有働木母寺(1901~1994)は明治34年の熊本市生まれ。熊本県立商業学校時代から句作を始め、俳誌「ホトトギス」や「かつらぎ」に投句し、昭和5年に俳誌「阿蘇」を創刊し、戦後は「水葱(なぎ:ミズゾアオイ)」を創刊主宰した。生まれ住んだ火の国熊本の風土に根ざした作品を多く生みだし後年は病の床にありながらも後進の指導育成にあたった。
平成13年に生誕100年を記念してこの句碑が建てられた。

 

一方(ひとかた)に向きて 湖面を漂える 鴨あり 首を 風に吹かれて   石田比呂志

石田比呂志は昭和5年に福岡県に生まれ、少年時代より歌人を志して流浪漂泊し、昭和50年からは熊本市秋津に移り住んだ。歌誌「牙」を主宰し、多くの弟子を育てた。平成23年に急逝した比呂志の手もとに残された歌稿「冬湖」の30首から選ばれて令和2年にこの碑が建てられた。


そして最後は「くまもと文学・歴史館」の敷地内にある「星の王子さま 内藤濯 文学碑」へ。

「星の王子さま」の翻訳で知られる内藤濯(あろう)氏の生誕120年と原作者サン=テグジュペリの没後60周年を記念した石碑が2005年に熊本日仏協会により建てられている。

内藤濯は明治16年(1883年)7月7日、医家の四男として熊本市に生まれ、城下で幼少年期を過ごした。

明治43年東京帝国大学仏文科卒業後、旧制一高で教鞭をとり、東京商大、昭和女子大の教授を歴任し翻訳家、評論家、エッセイストとしても活躍した。翻訳には古典文学から現代文学まで多数あるが、70才を過ぎた昭和28年(1953年)翻訳出版された「星の王子さま」は名訳と謳われ、訳後、50年間で600万部が発売され永く読み継がれる大ベストセラーとなった。

挿絵も原作者が描いた

また、短歌も能くし、江津湖に関しては「湧き出ずる清水豊かな緑園に石碑立つ見ゆここかしこ在り」という一首が残されている。昭和52年(1977年)9月19日東京で死去。享年95歳。

碑の上部には内藤の短歌が彫られており、

いづこかに 霞む宵なり ほのぼのと 星の王子の 影とかたちと

そして下部には印象的な序文が、原文と和訳で彫られている。

それにしても原題の"Le Ptit Prince"を直訳すれば「ちいさな王子」あるいは「小さな大公」なのに、よくも「星の王子さま」と訳したもんだ、と感心しつつ、注射の左肩に痛みを感じながら江津湖を後にした。

本日の走行距離:15.0㎞