ネット検索をしていたら八代市泉町にある六地蔵の在り処が分かったので、その道すがら他の六地蔵の安否を確認しながら行ってみることにする。
夜明け前にクロモリロードバイクで出発し、出水ふれあい通りを南下して画図の田舎道を南下。
中の瀬橋、
めど町橋を渡り、
緑川の左岸で甲佐に入り、西寒野の六地蔵を確認。
国道443号線に入り、坂を上り、佐俣を過ぎると山深くなってきて気温も下がって来る。
ミツマタの花が咲き誇る椿の集落を抜け、
払川の集落に入り、
以前、探し出すのにかなり苦労した払川の六地蔵に到着。
一面六体の板碑型の六地蔵で文明14(1482)年の建立で、上段と下段にそれぞれ3体の地蔵が彫刻されている。
払川の集落を抜け、峠を越えると八代市泉町に入り、
ふれあいセンターいずみでトイレ休憩しようとしたが、まだ開いておらず、仕方なく、国道443号線をさらに進んで、宮の﨑地区の、
その名も「六地蔵」のバス停の先にある旧泉第一小学校の横の小径を少し上ると、
そこに今回目指した「六地蔵さん」と「清正公さん」。
清正公さんの方は、
木製の像で成就祈願。
六地蔵さんの方は、
こちらも木造で、頭部は摩耗して、欠けたものもあり、素朴さがしみじみと伝わってくる。
苦患救済・子育て支援に霊験あらたか、とのこと。
本日のお目当てを堪能した後は、国道を進み、この地に所縁のある平家の家紋の揚羽蝶を飾った隧道を抜けて
さらに坂を下って行くと、生姜と石工の郷・東陽へ。
そこの若宮神社の参道横にも六地蔵がたっているが、
この神社の境内には90度ねじれたように彫刻された石灯籠。
この灯籠は嘉永4年(1851)に橋本勘五郎が作ったと伝えられている。
また、近くの菅原神社の石灯籠はさらに90度ねじれていて、先ほどの石灯籠の3年後の嘉永7年(1854)、石工の文八の作とされている。
日本でも稀なこれらの「ひねり灯籠」は、当時の石工の遊び心や技術の高さを今に伝えている。
若宮神社からすぐの「道の駅・東陽」でやっとのトイレ休憩を済ませ、
立神峡へ迂回して、立神集落の六地蔵の安否確認を済ませる。
ふたたび国道443号線を走って氷川町宮原から北上し、道の駅竜北から小川の旧道に入り、妙音寺にも立ち寄る。
その後はいつものように県道244号線、312号線、313号線で北上。最後に少し回り道をして松橋町のその名も「六地蔵」集落へ坂をあがり、
六地蔵公民館の近くにある六地蔵に立ち寄る。
平成4年建立の、このタイプの六地蔵としては県内でおそらく最も新しいこの六地蔵は以前はちゃんとしていたが、
おそらく地震で竿石が破損したらしく、随分と背が低くなっていた。
六地蔵の集落から国道266号線に抜けてさらに北上し、めど町橋を渡って、朝来た道を帰った。
本日の走行距離:88.6㎞