くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

終戦の日ライド

日本各地に大雨をもたらしている季節外れの停滞前線が県南方面に移動しているスキに午前6時に空模様を伺いながらクロモリロードバイクで出発。 出水ふれあい通りから、あちこち水たまりの残る画図の田舎道を走り、

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中の瀬橋を渡って茶色の加勢川沿いに西へ走り、

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川尻からは国道3号線、宇土からは県道14号線と、ひたすら南下。 ちょっと間違えて遠回りして松橋の街はずれの大野川にかかる「永代鉄橋」に到着。

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今は使われないこの橋は、鹿児島本線の熊本・八代間が単線だったときの鉄橋である。

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1970年7月に完了した熊本・八代間の複線化工事に際して50mほど西側に新しい鉄橋が造られたが、単線時代の永代鉄橋は撤去されず、そのまま残されている。

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(50mほど先に鹿児島本線の橋梁、その先には新幹線の橋梁)

松橋では終戦間近の1945年7月下旬から8月上旬にかけて米軍のB-24やB-25などの爆撃機や戦闘機による空襲が3回行われ、住民約30名が犠牲となった。

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(「死神」と恐れられた爆撃機B-25)

1回目の7月27日の空襲ではこの永代鉄橋と松橋駅が攻撃目標になった。

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今年6月に市民団体「くまもと戦跡ネット」が永代鉄橋のレンガ造りの橋桁に遺る空襲の痕跡を調査し、米軍機が機首部分に搭載していた12.7ミリの機銃弾の痕跡や

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1000ポンド(500キロ)爆弾とロケット弾の破砕痕跡などあわせて約30カ所の空襲の痕跡を確認できた。

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2回目の空襲の8月7日、2個飛行隊で編成された米軍爆撃機B-25のうち1機が八代海の鏡川河口付近に墜落。 搭乗していた米兵5人は捕らえられ、

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(「Pacific Wrecks」より)

熊本市の旧陸軍熊本地区憲兵隊本部に引き渡された後、西部軍司令部へ連行された。憲兵や日本軍の軍人らの証言から8月15日、福岡市郊外の油山で、日本人に対する無差別爆撃の罪として軍刀による斬首で処刑されたとみられる。この処刑は正式な手続きを経たものでなかったため、関係者は戦後、B・C級戦犯に対する横浜軍事法廷で裁かれる事となった。 「戦争の罪」と言うものを考えながらも、水たまりを避けるために交通量の少ない田舎道を走り、

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宇土の市街地を抜けてからは朝来た道を帰った。

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本日の走行距離:52.5㎞

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