くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

緑川沿いを霊台橋まで

早朝、カーボンロードバイクで、出水ふれあい通りを南下し、中ノ瀬橋、めど町橋を渡り、

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緑川沿いを

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霊台橋まで走ってきた。

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途中、甲佐町と美里町の境にある標柱に目が留まる。

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それによれば、「ミグマタイトは肥後変成帯と呼ばれる地域に分布する岩石。およそ一億年前に高温低圧型の変成作用を受けた岩石の分布している地域で、日本地質百選に選ばれた」と。

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よく解らないので帰って調べてみると、ミグマタイトとは地層に圧力や温度が作用して二種類の岩石が交じり合ってできた岩石で日本列島に大きな力や温度の変化が起こったことが判り、列島形成の歴史を解く「ひとつのカギ」となるものらしい。しかもこのミグマタイトが地表に現れているのは、ここと北海道の日高地方の2か所しかない、非常に貴重な場所らしい。 そんな訳で、そのミグマタイトとやらを望遠レンズで覗いてみたけど、イマイチ、「ピン!」とはこなかった。

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ところで、熊本にはこの緑川をはじめ、白川、黒川など、色の漢字のついた川がある。 その名前の起源について、大正時代に書かれた郷土史に「白川は二源あり。阿蘇谷より出ずるものは水濁りて清からず、故に黒川と云い、南郷谷より発するものは水澄みて清し、故に白川と云う」とあるが、緑川の名前の起源については諸説があるらしい。 ウェブ版の熊本日日新聞の記事によれば、宮崎県境の山都町緑川地区にある鍾乳洞「穿(うげ)の洞窟」は、地元の人たちが緑川の名前の由来と信じる場所。

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(「熊本ガイド情報局」より拝借)

「蒙古襲来時の伝説の武者の百合若大臣が飼う鷹の名前が「緑丸」で、この洞窟に祀れているため、地元ではこの洞窟を「緑の宮」と呼び、ここを水源とするので「緑川」とする説がひとつ。  この他に、源為朝が東上する途中に緑色の直垂(ひたたれ)を洗った説や、

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かつて酒だるの原料となる杉の緑が川面に映えて美しかった説などがあるが、

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(この説に賛成!)

はっきりとした由来は分かってないとのこと。 緑ゆたかな緑川沿いの県道220号線を走ってリフレッシュしたけれど、

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午前9時頃に家に帰り着いたころには汗びっしょりになっていた。

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本日の走行距離:69.6㎞

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