あれからもう5年。 特に揺れの激しかった地域の復興具合を見に、益城町、西原村、南阿蘇村をカーボンロードバイクで廻ってみた。 京塚を経由して健軍自衛隊の先から木山往還に入って東へ進み、益城に入ったところでチポリーノに向かうナイチン工場長と遭遇しご挨拶。 被害の大きかった益城の街の復興は進んでいて、
災害に強い町を目指して県道28号線の4車線化が始まっているが、
そのための立ち退き問題などで住民間でも復興に関する想いに温度差が出ていると先日のニュースでも言っていた。 津森地区を抜け、
杉堂地区の先の崖崩れの箇所の法面工事も終了したようで快適に走り抜ける。
西原村に入り、
布田川断層の走る布田地区を過ぎると、
村役場の西側にあった仮設住宅の敷地の一角には災害時の拠点となる総合体育館の建設が進んでいた。
しかし一方でその東には生活再建の道半ばの方々の住む仮設住宅が残っていた。
セブンイレブンでトイレ休憩と携帯食の購入をして県道28号線をさらに東へ進む。 集落の9割近い住宅が全壊し、9名がその下敷きになりながらも住民が力を合わせて救助しひとりの犠牲者も出さなかった大切畑の集落は、斜面の補強と新たな宅地の造成が行われたが、半分の家が集落を去ったと先日のテレビドキュメントが伝えていた。
また、隣接する大切畑ダムも損傷したため、活断層を避けて400mほど上流側にダムを造る工事が行われている。
さらに県道28号線を上がり、
右折して峠道を上がる。
ちなみに天気予報では黄砂の飛来が心配されたが、さいわいに金峰山もよく見えた。
そう言えば、この峠道は俵山トンネル復旧後もしばらくトンネルへの迂回路だったことを思い出しながら、
南阿蘇村に入って峠を越え、
少し下ったところにある「西南役慰霊碑」と「俵山峠開通碑」は地震でともに倒れたが無事復旧している。
県道28号線を少し走って左折し、未だに列車の通らない長陽駅を経由して
栃木地区から国道325号線に入って、観光客がごったがえす新阿蘇大橋は渡らずに、
直進して河陽地区から県道149号線に入り、しばらく走って県道298号線との交差点から左折するつもりだったら、そこにあった看板が気になってしまい右折。
猿回し劇場の先の坂を上り、「震災遺構」へ。
ここにあるのは旧東海大阿蘇校舎1号館および地表地震断層を保存したもので、
入場無料で、しかも地区のボランティアの方が詳しく丁寧なガイドもしてくださった。
報道では何度も観たが、
実際に眼にすると、
その激しさにあらためてあの日の揺れの強さを思い出し、
さらに強かったこの地の揺れを思い描いた。
一緒に廻った見学客の中には当時ここの4年生の学生だった女の人がいて、ガイドさんと思い出話をしていたのが大変臨場感があった。
ガイドさんに重ねて感謝の意を表し、「震災遺構」を後にして道を戻って坂を下り、国道57号線に突き当り左折。 旧阿蘇大橋が掛かっていた所の展望所で
崩落した阿蘇大橋を眺め、
さらに下流の立野渓谷を眺め、
国道57号線をさらに下り、
途中から瀬田に降りて、白川沿いの県道を、向かい風に苦しみながら帰った。
本日の走行距離:81.3㎞