朝から運転免許の更新に菊陽町の免許センターへ。
午前10時頃には新しい免許証を受け取ったので、寄り道して菊陽町に残る石橋を廻って来た。
まずは「井口眼鏡橋」 県道145号線沿いの馬場楠井手に架かる単一アーチ橋。
この橋の特徴は、輪石の接する部分に、すべて石楔(くさび)が使用されていること。
この工法が用いられている眼鏡橋は、植木町豊岡にある豊岡橋(1802年)、
御船町木倉にある門前川橋(1808年)がある。
この2つの石橋の石工は、肥後の石工集団のリーダーである仁平(にへい)の弟子達の手によるものといわれており、
井口眼鏡橋も同集団の手によるものと推定される。 お次は「上津久礼(かみつくれ)眼鏡橋」 津久礼井手と瀬田下井手の二つの流れに架かる二連式アーチ橋で、
井手底が「津久礼井手側」は低く、「瀬田上井手側」は高いという、田地の実情に合わせて構築されている。
平成元年(1989年)の県営圃場整備事業実施によりこの石橋の下を流れる2つの井手がなくなり、それに伴い、この眼鏡橋も撤去されるはずだったが、現地を公園化し、そのままの状態で保存されている。
多少走って「古閑原(こがばる)眼鏡橋」 古閑原の南側を流れる瀬田上井手に掛かる単一アーチ橋。
以前は、重要な古閑原の生活道であったが、昭和12年(1937)、近くに県道大津~植木線が開通したため、現在はあまり利用されなくなっている。
この橋は、井手の両岸が固い岩盤であることから、アーチの基礎は、井手底から約2.2メートル上方からはじまっている「変形アーチ橋」となっている。
最後は「入道水(にゅうどうみず)眼鏡橋」 この眼鏡橋は、本来、菊陽町原水を東西に流れる瀬田上井手の入道水菅原神社の参道に架けられていた。
ところがこの瀬田上井手が拡幅されることになり、眼鏡橋の現地保存が不可能と判断されたため、菊陽杉並木公園ハス池に移設された。
この際に、
地形や安全性を考慮して壁石・欄干が新設され、橋の概観は大きく変わってしまったが、
特徴である真円に近いアーチ部は当時のままの姿を残している。
番外編で「大原阿蘇神社の参道橋」 「大原阿蘇神社」は旧・国道57号線である県道337号線沿い、JR原水駅の西500mほどの所にある神社。
参道を豊肥線が横切っている。
県道沿いの鳥居を入った先に小さな太鼓橋。
前述の眼鏡橋に比べると文化的価値は低いけれど、4本の親柱・きれいな擬宝珠・小さな欄干がある可愛い石橋だ。 菊陽町の石橋は比較的小規模のもので、架橋当時の目的ををすでに無くしているものが多かったが、それなりに大切にされている印象であった。
なお、本文中の眼鏡橋の説明は菊陽町のHPの説明文を引用。