陽が射すのを待って午前8時30分過ぎ、カーボンロードバイクで出発し和水(なごみ)町を目指す。 坪井川沿いの道を北上し、
左に折れて国道3号線に出て、県道3号線に入り北上していると早く着き過ぎるので、県道55号線を左折して霜野の集落のふたつの六地蔵の安否確認。
霜野日吉宮の前にあったものは地震で倒壊したため少し離れた霜野公民館の前に移動して再建されていた。
県道3号線に戻って、和水町に入って江田川沿いの道を走って、
用木(もといぎ)集落の六地蔵を見回って、
江田船山古墳を中心とした
「古代の森」の中にある「肥後民家村」へ。
今日は久しぶりに「わさんたらんか」で昼飯を食いに来たのだ。
ここのスリランカ人シェフのワサンタさんは以前メキシコ料理屋でコックをしていたので、メキシコ料理もメニューにあり、迷ったけれどやっぱり「スペシャルカレー」をオーダー。
レバー付きの辛めのチキンカレーを堪能した。
県道16号線を山鹿方面へ走って県道315号線に左折。
この県道は別名「竈門(かまど)・菰田(こもた)・山鹿線」で、
難読の漢字が散見されていたが、ご存じのようにこのところの「鬼滅ブーム」で、主人公の名前と同じということで、
竈門集落の天満宮が
「聖地巡礼」の地になっているらしい。
もっとも、同じく大宰府や別府にある神社と比べると全国的認知度はかなり低いようで、神社の説明書きによると、この辺りは古来「カグ」と呼ばれていて、それが転じて「竈門」となったらしいのだが、大宰府の神社の影響もありそうとのこと。
それはさておき、この神社の本殿の天井にはプロペラが奉納してある。
神社にプロペラの組み合わせは妙チクリンだけど、時々見ることが合って、戦時中の戦意高揚や武運長久の意味合いがあるらしい。 また、境内を廻ると三猿や
猿田彦の他、天満宮につきものの「撫牛」の像もちゃんとある。
自分の悪い所と同じ場所を撫でると良くなるらしいので、「撫牛」のあちこちを撫でて竈門天満宮を後にする。 さらに六地蔵の見回りをしながら
菊池川沿いを少し走ると、お次は「菰田」。
菰田橋の袂には、天草・島原の乱の鎮圧に活躍したという「菰田水夫」の顕彰碑や「菰田船着場跡」の説明板などが建っている。
この「菰(こも)」というのはワラなどの植物を粗く織ったもので、今週のNHKのサラメシでも日本酒の「菰樽」メーカーの昼食風景が紹介されていた。
似たようなもので「筵(むしろ)」があって、ほぼ同じものであるが、こちらは敷くもの。
「針の筵」がその代表。
一方、「菰」の方は、巻くもので、松に巻く「菰巻き」が有名。
さて、菊池川沿いをさらに走って、焼米(やいごめ)地区の六地蔵を見回った後は
県道16号線をしばらく走って右折し、駄ノ原台地の東側を南下して宮原からゆうかファミリーロード、合志川沿いの道に進み小野泉水を経由して坪井川沿いの道を走って帰った。
本日の走行距離:79.9㎞