くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

阿蘇の小国をミニ周遊

クロモリロードバイクを電気自動車の後部座席に詰め込んで、家内と阿蘇の小国へドライブ。 国指定天然記念物の「下城の大銀杏」や、

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その横の墓地にある色彩が鮮やかな「花山六地蔵」や、

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近くの「下城滝」を見物。

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さらには、このところ名をあげている「鍋ケ滝」を堪能した後は、

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「道の駅 小国」で自転車を降ろし、

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杖立温泉でひと風呂浴びる家内と別れて、ちょっとだけサイクリング。 南小国方面へ里山を廻って

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集落に残された六地蔵を収集し、

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(中湯田の六地蔵)
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(湯田の六地蔵)
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(偶然見つけた笠塔婆?)
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(竹ノ熊菅原神社の六地蔵)

満願寺を抜けて、

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左に折れてさらに坂を上り、

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本日のハイライトに向かってハンドルを切る。

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急な坂を上がって峠を越えるとすすきの丘が広がってくる。

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未舗装の悪い路面の激坂に自転車を打ち捨てて歩いて上って行くと、刈り込んであるすすき野の一番上に看板が立っていた。

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その看板によれば、ここ臼内切(うすねきり)には隠れ切支丹の集落があり、切支丹弾圧の目をくぐりながら密かにこの辺りで隠れ住んだ人達がいたが、江戸末期になって切支丹信者である事が発覚し一夜にして全員(およそ十二家族)がこの場所で打ち首の刑に処せられた跡として伝えられている。 こんな山奥に・・・とも感じるけれど、歴史を紐解けば、切支丹大名だった大友宗麟が豊後を支配していた頃、当時の貿易港だった玉名の伊倉から山鹿、菊池、小国、久住を経由して交易品とともに宣教師が往来したため、その道筋には隠れ切支丹が集落が点在することとなった伝えられている。おそらく、ここの住民もそうした人たちのひとつだったのだろう。 塚の数は全部で十二あるそうで、少し地面の盛り上がったところがその「塚」なのか?

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「千人塚」とも呼ばれるその丘から北外輪山方面を眺めて、来た道を戻った。

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「道の駅 小国」で再びロードバイクを積み込んで帰路へ。。 今日は空気が澄んでいて、涅槃像を間近に感じながら帰った。

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本日の走行距離:33.5㎞

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