朝6時頃にカーボンロードバイクで出発し、儚く移ろう夜明けの空を見ながら県道145号線をひたすら東へ。
瀬田から坂を上がり
国道57号線に突き当たる少し前で右折し、長陽大橋を渡り、
さらに坂を上って西登山道に入る。
ペンション村を抜けてひたすら坂を上り、
北登山道に突き当たって右折し、
湯の谷ゴルフ場の先を直進し、クネクネ道を上って、小学生の頃から30歳頃まで何度か泊まった阿蘇観光ホテル跡地へ。
昭和14年開業したこのホテルは、当時としては珍しかった本格的な洋式のホテルとして大きな注目を集めた。戦後は一時駐留米軍の保養施設として利用された後、九州産業交通が「阿蘇観光ホテル」として経営を引き継いだ。その後、和式の「蘇峰館」や団体・家族向けの別館なども立てられたが、本館の赤い屋根は遠方からもよく目立っていて、2000年2月の閉館まで約60年の長きにわたって阿蘇観光のシンボル的存在だった。
廃業から20年が経ち、「蘇峰館」や「別館」は取り壊され平地となったが、
本館だけは廃墟となって残っている。
当時の面影はなく荒れ果てて、
印象的だった屋根の赤もくすんでしまっていた。
ここの玄関にあった縁結びの石は、ペアとなっていた石灯籠(男性を表すとのこと)とともに南阿蘇鉄道の「下田城ふれあい温泉駅」の
駅舎横の線路脇に移され、
現在も縁結びのひと役を担っている。
さて、最後にこのホテルに宿泊した8月の昼下がり、ロビーで寛いでいる所を従業員に声をかけられて、ホテルのプールで溺れた小学3年生くらいの男の子に救急蘇生を行ったことなど思い出しながら、もう訪れることもないホテルの廃墟を後にした。
そこからさらに山麓から立野方面を眺めたり、
火山の蒸気の吹き出し口などを見ながら
アップダウンを繰り返して、「金龍の滝」の
隣にある垂玉温泉の山口旅館へ。
明治19年創業の山口旅館は「五足の靴」の与謝野鉄幹ら一行や
野口雨情などの文人の来訪も多い老舗旅館。
この旅館の娘さんと小学校、中学校で同級生だったこともあり、何度もここを利用したが、4年半前の地震やその後の大雨で被災して、
来年春の再開を目指して現在復旧作業中とのこと。
小学生の時、この旅館の宿主の娘さんが同じクラスで、クラスの活動で何度かここを訪れたし、成人してからも「秘湯」の面影を持つこの温泉には何度も足を運んだ。
坂を下りて、
長陽駅でやっと用を足し、
また坂を上り、俵山峠を越えて
西原村の小森から阿蘇くまもと空港滑走路の北側を通る道に出て、
いつものように帰った。
本日の走行距離:84.7㎞