阿蘇山を水源として有明海に注ぐ白川。
その白川で最大の「渡鹿堰」。
「土木の神様」と呼ばれる加藤清正が着手したこの堰に隣接する菅原神社の境内には清正が工事を指揮した際の腰掛石が残されている。
渡鹿堰から取水された「大井手」は、大江、新屋敷、九品寺を流れて、
「井手口」で白川に戻るまでの2.7㎞の間に
一の井手(6.2㎞)、二の井手(6.5㎞)、三の井手(6.3㎞〕と3つの開水路に分水し、熊本市南部の水田など約300ヘクタールに水を給している。
随分前のことになるけど、大井手から分水する「一の井手」の水路を辿ったことがあったが、今朝は「二の井手」の流れを辿ってみた。 新屋敷公園のところで分水した「二の井手」は
九品寺を横切って
熊本大学病院および医学部キャンパス沿いを南下。
さらに南下し、南熊本の寺田公園ではその中央を流れる二の井手に眼鏡橋が掛かっている。
この石橋は西区の松尾八幡宮前にあった中松尾橋が河川改修工事の際に取り壊されることになったため、この公園に移設したもので、通潤橋や霊台橋を始め、皇居の二重橋の施工にも携わった種山の名工・橋本勘五郎の手によるもの。
さらに井手は、旧・浜線の「日向往還」に沿って南下する。
一里木跡や、
県内各地に立つ放牛石仏の記念すべき第一体目など、
見どころの多い往還沿いを流れる井手は、今では暗渠の箇所も多くて目立たないけど、
東病院のところには、この水路が清正公によって造られたことを記した石碑が立っている。
その後も井手は旧・浜線沿いを南下しそして一部はそのまま木部川に合流し、一部は西へ進路を変え、
田迎から御幸笛田にかけての青々とした田畑を潤している。
本日の走行距離:22.6㎞