東の空が明るくなり出した5時30分頃クロモリロードバイクで出発し、先週に引き続き、熊本市の渡鹿から小島までの白川下流域を走って4つの堰を廻った。
自宅からペダルを漕いで5分ほどの「渡鹿堰」。
慶長年間に加藤清正が築造したと伝えられる白川水系最大規模の水利施設であり、大江方面に「大井手」と呼ばれる用水が伸びる。そこからさらに三本の井出が枝分かれして熊本市の南部一帯を潤している。
「三本松堰」
鹿児島本線および九州新幹線の橋梁の少し上流にあり、力合方面へ農業用水を供している。
取水口のある堤の外側に「三本松堰改修記念碑」が立っている。
言い伝えによるとこの堰は清正公の治水工事によって築かれたものらしい。以前は堰の石垣が亀の甲形に組まれている通称「亀堰」であったが、取水効率が悪く、旱魃時には流域では水不足に悩んだ。昭和五十四年に堰の全面改修となり、その後も昭和六十一年、昭和六十三年にも堰の改修工事が行われている。
「十八口堰」
薄場橋のすぐ近くにあり、かつては薄場石堰があった。飽田、畠口地区に給水し。その取水口の水路の脇には、台座に「災い転じて福となす」と彫られた観音様と
「薄場石堰改修の碑」が建っている。
「井樋山堰(中島堰)」
白川最後の堰で中島、沖新地区に水を供する。
水利施設としての歴史などの情報が少なく、むしろ、シーバスやテナガエビなどの釣り場としての情報が豊富でこの日も数名が釣り糸を垂れていた。
堤防から撮影した画像では判りにくいが、これら白川下流域の4つの堰に共通した構造がある。 先日レポートした白川中流域の堰のほとんどが川の流れと90度の「直角堰」であるのに対し、
「斜め堰」であることだ。
この「斜め堰」は川の流れの曲がった部など、土石が溜まった部を利用して一部あるいは全体が斜めになっている堰を表す。 堰が斜めになっている効能としては取水口率の良さや洪水時の水位低下作用があるとされている。 2回に分けて廻った白川中流域から下流域にかけての10基の堰。
それぞれに独特の風情があり、周辺の景色とも相まって印象深いものがあった。
また、いくつかの堰の周辺に残された石碑などから、自然災害との闘いの歴史も感じることができたし、参考にした文献などから下流域の水利の争いの歴史があることも知り、興味深かった。 本日の走行距離:35.7㎞