天気予報も良いので仕事のウサを晴らしに、ウイルスの少なそうな山鹿(根拠はありません)を目指す。 いつものように小野泉水経由で合志川沿いを走り、
中富小学校経由で来民を抜けて、
蒲生に入ると不動岩が近くに見えてくる。
先日、みきたかさんが訪れた彦岳宮のHPなどによれば、この不動岩と彦岳の権現
とは異母兄弟で、
蒲生の山に住んでいた母は、かねてから継子の彦岳権現には、まずい大豆やそら豆ばかりを食べさせていた。一方、実子の不動岩にはおいしい小豆ばかり与えて、大事に育てていた。いよいよ相続遺産をさせるということになったとき、この両者を綱引きで力比べをさせて、勝った方に水、火、土の三つの玉を授けることにした。 不動岩と彦岳権現の中間にある震岳(ゆるぎだけ)の頂上に大綱をかけて、綱引きの号令をかけた。
すると、小豆ばかり食べて育った不動岩は、首が吹き飛んで久原山の麓に落ちた。 そんな訳で、今日はその、ちょん切れて吹っ飛んだ「首石岩」を探索しに来たのだ。
遺産相続の「三つの玉」に由来する三玉地区を抜け、
県道197号線から久原山方向へ上ると中腹にある山鹿採石所の奥の方に、
その「首石岩」が見えてくる。
近づくと、岩の下部は深い繁みに隠れているので道なき斜面を這い上って行くと
巨大な「首石岩」に到達した。
確かに不動岩と同じように「君が代」に出てくる「さざれ石」で出来ている。
さらに岩の反対側に回り込み、
残り数メートルを決死のボルダリングを敢行して「首石岩」の頂上に到達!
そこからの眺めをしばし愉しんで「首石岩」を後にした。
ちなみにその昔、ふっ飛んだ首石の、その傷口から流れ出た血によって、このあたり一帯の土が赤土になったと言われている。
また近くの「一目神社」は、不動岩と彦岳権現が首引きをした時、わが子の首引を案じていた母神の目に首引きの大綱の端が当たり片目が失われたので、その母神を祀って建立されたと言われている。
目的を達して、山鹿市街地へ行き、八千代の近くの「石窯ピザの蔓薔薇(つるばら)」で、
イタリアの惨状に想いを馳せながらピザ・マルガリータを、
サラダと
デザートと
珈琲のセットでいただく。
その後は菊池川、
合志川沿いの道を走りながら、
本日の伝説に登場した彦岳、震岳、不動岩を振り返る。
そしていつものように小野泉水を経由して坪井川沿いの道を走って帰った。
本日の走行距離:78.3㎞