くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

日輪寺と花園小

鹿児島在住で、奥さんの帰省に同行して熊本に来ておられるヘイホーさんとサイクリング。 職場で朝の用事を済ませ、

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セブンイレブン飛田3丁目店で待ち合わせ、

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坪井川沿いの道を北へ。 小野泉水を経由して

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植木温泉からはゆうかファミリーロードを走り、

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宮原からは国道3号線をひたすら北へ走り、

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山鹿の市街地を抜けて、日輪寺へ。

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昨日、12月14日と言えば、赤穂浪士が吉良邸に討ち入った日(旧暦なので西暦にするとは1月30日なんだけど)。ここ日輪寺には赤穂浪士のうち細川藩にお預けになった大石内蔵助良雄を始めとする十七士の遺髪を納めた遺髪塔が建っている。

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この時、江戸の細川藩邸で赤穂浪士の世話係を務めた堀内伝右衛門が、

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(中央が伝右衛門の墓)

細川藩邸で切腹した十七士の遺髪を持ち帰り、菩提寺である日輪寺に遺髪塔を建立し懇ろに弔った。

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また、ここ日輪寺は、西南戦争の時、薩軍の北方拠点として指揮所が置かれ、官軍との間で激しい戦闘も行われた。

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日輪寺の山の中腹にある薩軍兵士の墓は、官軍として従軍した鹿児島出身の警視・押川仙太郎が建てたもので、薩軍兵士3名の遺体を「命終えてまで官賊もなし」として墓標の建立を里人に依頼し、碑文と金銭を託したもの。

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また、お寺の境内には、どういう訳か、鹿児島の道祖神である「田の神様(たのかんさあ)」が7体も置かれている。

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ちなみにヘイホーさんは鹿児島では朝練の後、「たのかんさあ収集」を楽しんでおられる。 日輪寺の後は岩野川沿いの道をのんびり走って

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温泉街に戻り、てんぷらの「こだわり亭」でランチ。

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この後、下り車線の路側帯が狭い国道3号線を避けて菊池川沿い、

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合志川沿いを走り、

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植木町豊田からは「ゆうかファミリーロード」を走る。

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途中、寂心さんのクスノキに立ち寄って、

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硯川のセブンイレブンで小休止して、ふたたびファミリーロードを走り、道を間違えまくって花園小学校へ。

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ここの正門近くの校庭に古い手水鉢が置いてある。

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江戸の細川藩邸にお預かりになった十七士が切腹するまでの五十日間使っていた手水鉢である。この手水鉢を藩士がもらい受け、江戸から回船で百貫港に陸揚げして、人夫8人で苦労して運んできたという。

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熊本に遺る赤穂浪士関係のものを見終わって、県道1号線に入り、藤崎宮を経由して明午橋を渡り、トウカエデが色付き始めた街並みの、インド食堂の前付近でヘイホーさんと別れて帰った。

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本日の走行距離:81.5㎞

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