江戸時代に造られた用水路「築地(ついじ)井手」などからなる熊本県菊池市の「菊池のかんがい用水群」が先月、「国際かんがい排水委員会(本部・インド)」が認定する「世界かんがい施設遺産」に登録された。
「世界かんがい施設遺産」は、灌漑(かんがい)施設の歴史の理解や保全を図る目的で、建設から100年以上経過し、農業などの発展に貢献した施設を登録・表彰している制度。 これまでに、国内では39件が登録されており、県内では平成26年登録の「通潤用水」、平成28年登録の「幸野溝・百太郎溝水路群」、平成30年登録の「白川流域かんがい用水群」に続き、4件目という。 「菊池のかんがい用水群」は、「築地(ついじ)井手」のほか、「原(はる)井手」、「今村井手・宝永隧道」、「古川兵戸井手」からなる用水群で、今回、まだ見たことがない「今村井手・宝永隧道」を見に行く。 午前7時頃、クロモリロードバイクで出発し、職場でひと仕事を済ませ、午前9時前に職場から菊池へ日田街道を北上。
泗水を抜けて、花房台地を下る。
右折して菊池川沿いを走る。赤星井手沿いを走り、今集落方面へ。
菊池十八外城のひとつ「戸崎城」があった丘の麓に、
案内板と
この井出に関係する石碑群が立っている。
別名の「今村マブ」の「マブ」とは地元の言葉で、水路トンネルのことを指すらしい。 「宝永隧道」は宝永2(1705)年につくられた全長302mの水路トンネルで河原手永の惣庄屋・河原杢左衛門が今・赤星・森北地区に引水するため開削した。
水路トンネルを掘った際の通気用のたて穴が残り、当時の工法を伝えている。
戸崎城址の坂を越え、
丘の向こう側に行ってみると、河原側の隧道の入口を見ることができる。
さらに井手沿いに東へ進むと、取水口である河原川の岩下堰が水を湛えていた。
そこは河原手永の中心地で、高札場の跡もある。
河原地区の丸ポストをゲットして帰路へ。
時間がなくなって来たので井手があちこちに流れている菊池市街地を抜け、
菊池川沿いの道を走って、
帰路も日田街道、北バイパスを走った。
本日の走行距離:53.0km