くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

猿丸太夫ポタ

南阿蘇村に行く用事があったので、ロードバイクを車載して、昼飯を食った後、高森駅からサイクリングをスタート。

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九十九折で高森峠に上って

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国道265号線に入り、高森方面に少し戻って国道325号線へ右折。 少し走って県道212号線へ進んだところに「猿丸」の集落があり、

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その集落を抜けたところにこの案内板。

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山道を100mほど進み、左へコンクリート階段を上がると「猿丸太夫の墓」がひっそりと立っている。

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集落の伝承では、今では折れてしまったタブの大木が猿丸太夫の墓で、その傍らの墓石は道標で有名な甲斐有雄が建てたもの。 墓石には有雄が詠んだ歌も彫ってある。 墓石は一部に損壊もあるため、平成27年に猿丸の集落の方々が横に新しい墓碑を建てている。

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猿丸太夫と言えば、百人一首の歌が有名。

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(墓碑の裏面)

『奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき』 百人一首の中でも代表的なこの歌を作ったとされるが、その人物像については生没年不詳、伝記不明で謎が多い。 お墓にしても、熊本の他に高知や岐阜、兵庫にもあり、他に京都、石川にも伝承がある模様。 百人一首の歌人で言えば、小野小町も、「小野の泉水」の水を産湯を使い、三歳までこの地で育ったと言う伝承があり、

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公園内には「小町堂」なども建てられている。

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小町の父親とされる小野良実(よしざね)が養父・小野篁(たかむら)の罪に連座して、肥後のこの地へ流罪に処されたことは史実であるが、

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小町がここで生まれたと言う確証はないとのこと。

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(良実の墓にしては様式に矛盾があるとのこと)

ちなみに小町の誕生の地としては他に秋田県湯沢市、福島県小町町などにも伝承が残っているらしい。

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『花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに』 さて百人一首に選ばれた歌人としては清原元輔が熊本にいたことは確かである。 寛和2年(986年)79歳の高齢で肥後守として九州に赴き、永祚2年(990年)6月に任地にて卒去。 北岡神社の裏にある墓所には現在、清原神社が建てられて祀られている。

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多くの和歌を残した元輔。

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(藤崎八幡宮にある元輔の歌碑)

そんな清原元輔の歌の中で百人一首に選ばれたのが、

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『契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末(すゑ)の松山 波越さじとは』 1100年前に東北を襲った「貞観地震」の津波が「末の松山」を越さなかった事を例えたもので、先の東日本大震災の時にも何度かテレビで紹介されていた。 元輔の祖父である清原深養父(きよはらのふかやぶ)、それに元輔の娘、清少納言の歌も百人一首に選ばれており、平安貴族の中でも有数な歌人の血筋とも言える。 話がすっかり逸れてしまったけれど、猿丸の集落から県道212号線をさらにしばらく進み、途中で清栄山方面へ左折。

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(円満寺)

初冬の奥阿蘇の雰囲気を堪能して

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清栄山登山口から激坂をくだって高森に戻った。

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本日の走行距離:24.0㎞

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