くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

喜三郎の「生人形」めぐり

高平にある浄国寺で毎年4月29日に開催される「松本喜三郎墓前祭」の案内状が京町の実家に来ていた。

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松本喜三郎は江戸時代末期から明治時代に活躍した人形師で、

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その作品は生きた人間と見まがうほどだったので、「生人形(いきにんぎょう)」と称された。 喜三郎が生まれたのは、熊本の井手ノ口町(現熊本市迎町)。地蔵祭りの造り物に心を奪われようになり、早くから様々な職人技を覚え、20歳の頃からまるで生きているかのようなリアリティ溢れる人形を造るようになった。やがて数十体の人形にテーマ性を持たせて製作・展示するようになり、幕末以降、大阪や東京での見世物興行が喝采を受けるようになり、日本を代表する人形師となった。その作品は、ワシントンDCのスミソニアン自然史博物館にも収蔵されている。 喜三郎が作った二百体以上の「生人形」の内、現存する物は十数体となってしまったが、熊本市内にも喜三郎の作品が浄国寺以外にもいくつか残されているので廻ってみる。 丁度、連休を利用して奥さんのご実家に一家でお越しのヘイホーさんをお誘いして、まずは金峰山方面へひとっ走り。

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(鎌研坂では、あっと言う間にチギられた)

峠の茶屋では、本当に久しぶりに、+Cの財津店長に遭遇し、旧交を温めた。

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その後、北登山口の仁王さんを経由して、

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残念ながら閉校した松尾東小学校方面へ下り、「奇跡の夫婦岩」をご紹介し、

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県道237号線を田崎方面へ走り、生き人形ポタを開始。 まずはJR熊本駅の新幹線口、春日町にある来迎院(らいごういん)。

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ここには喜三郎の晩年の名作・聖観音菩薩像(しょうかんのんぼさつぞう)が寄進されている。

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次に、「五福まちづくり交流センター」に展示してある閻魔像。

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この閻魔像の頭部は松本喜三郎の作と伝えられている。

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五福地区ではかつて「えんま祭り」が行われており、この像が祭りの主役とされていた。この祭りは昭和30年頃から途絶えていたが、近年復活し、毎年8月16日には、この像を近くの宗禅寺に移し、

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盛大に「えんま祭り」が行われている。 丁度、昼時になって、ランチは国立熊本医療センターの前にある老舗の「八木カレー」へ行ったら生憎の休店日で、近くの「ダイニング友田」で、

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「肉のランチ(本日はチキンのトマトソース煮)」をいただく。

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サラダバーに、

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デザート、ドリンク付きで

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1080円は、なかなかリーズナブルな価格。 繁華街をブラブラして、藤崎神宮の参道にある甘味処「老舗くさは餅本舗 本店」で白玉を堪能して時間を潰し、

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本日の最終目的である、高平の浄国寺へ。

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ここには喜三郎昨の「谷汲(たにぐみ)観音像(別名:巡礼姿観音像)」がある。

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明治4年正月より浅草観音境内に於いて興行を行い、大喝采を博した「西国三十三ヶ所観音霊験記」の観音像のひとつで、喜三郎がここに寄贈した。

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松本喜三郎の菩提寺であるこの寺では、彼の命日の4月30日の前日である「昭和の日」に墓前祭を行っている。

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(僧侶七名による、かなり本格的な「墓前祭」)

この日、喜三郎の命日供養と、この墓前祭の共催の「松本喜三郎顕彰会」の初代会長であり、昨年11月に亡くなられた島田真祐(島田美術館の館長で、わたしの通った予備校の国語の講師でもあった)の追悼回向が行われた。その後、谷汲観音供養があり、

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ここで我々は制限時間が来てしまい、辞去したが、その後には、喜三郎の江戸での大出世を内容とする朗読会が行われていた。 最後に、狭くて急な坂を上ったところにある浄国寺の墓地の松本家の墓を訪れて、手を合わせた。

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帰路は国道3号線から明午橋を渡り、市立図書館のところでヘイホーさんと別れた。

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本日の走行距離:46.7㎞

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