くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

宇土半島・南阿蘇コネクション

寒い一日になる予報だけど、今日は立春なので頑張ってサイクリングに出かける。 宇土半島と南阿蘇には一見何の関係もなさそうだけど、「歴史的に関係ある」という話なので確認しに宇土半島へ。 午前8時過ぎにクロモリロードバイクで出発し、画図の田舎道を走る頃には暗雲が立ち込めてきて、

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めど町橋を渡って緑川左岸を川下へ走っていると雪がびゃんびゃん降り出した。

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数日前にインフルエンザBの人が思いっきりくしゃみをしたのを、もろに顔に浴びてしまい、タミフルを予防的に内服している身なので、

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「引き返そうか?」と思ったけど、5分くらいで降り止んだ。 ウキウキロードから田舎道を走って、

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国道265号線に入り、空気の冷たさで多少指先が凍えるものの、海岸沿いを気持ちよく走る。

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そうしたら、motteaさん一家と遭遇!

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これからチャンポンを食べに行くとかで、しっかり「二児の父」をしておられた。 郡浦(こうのうら)の交差点から左折して案内板に従ってさらに左折し、

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矢崎集落を抜け、トトロの住処に続くような道を歩いて

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岬の台地へ。

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そこに矢崎城跡の石碑。

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天文19年(1550年)頃に宇土半島阿蘇氏の所領となり、峯村(現、南阿蘇村中松)に築城された鶴翼城(峯城)城主・中村伯耆守惟冬(ほうきのかみこれふゆ)が阿蘇家の命を受け、この矢崎城の城代を兼務することになった。 ところが、天正8年(1580年)九州の覇権を目指す島津氏の侵攻で、中村伯耆守惟冬は矢崎城で奮戦の後、討死した。 妻と4歳になった嫡男、惟尚(後に峯伯耆守惟尚)は、少数の家臣とひそかに故郷峯村に戻り(妻は矢崎城でともに死亡との説も)、その地名である「峯(みね)伯耆守」を名のった。 一本の桜の苗がその時期に植えられ、戦いに散った城主・惟冬とその家臣たちの菩提を弔うため一心に行をおさめたというところから「一心行」の名がついたとされている。

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矢崎集落にある神社には、ここで命を落とした中村伯耆守惟冬とその家臣たちのために慰霊の碑が建てられていた。

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県道243号線に入り、坂を上り、

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米の口の峠を越えて、

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網田へ。 田平地区の小高い丘に登ると、そこは「田平城跡」。

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惟冬の弟・中村二大夫は田平城(当時は「綱田城」)の城主で二大夫はその翌日に降伏し開城した。 その後も島津は侵攻を続け、甲斐宗運などの抵抗があったもののその勢力は衰えることを知らず、天正13年(1585年)高森城の陥落により肥後は島津に平定された。 国道57号線を走って

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住吉の先から宇土北部農免道路を走り、平木橋を渡って右折し、

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川尻を経由して浜線バイパスから白山通りに入り、インド食堂でランチして帰った。

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本日の走行距離:91.9㎞

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