くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

八代・河童伝説&刀削麺ライド

午前7時前にクロモリロードバイクで出発し、出水ふれあい通りを走って、中の瀬橋へ。

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こくろさん、ヘイホーさんと待ち合わせをして、八代を目指す。

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(こくろさんは昨夜の「えがおスタジアム」での「ミスチルコンサート」で「燃え尽きた」らしい)

国道266号線を南下し、県道313号線、312号線を南下し、小川を抜けて道の駅竜北で小休止。

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丁度、梨が旬で、物産館では二十軒ほどの梨農家が試食品を出しており、それぞれシャリシャリ感や水分量や甘さが微妙に異なる。

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試食をしまくったらお腹一杯になって出発。 田舎道を走って、氷川を渡り、宮原からは、しばらく薩摩街道を南下。

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八代神宮を経由して

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球磨川に突き当たる。

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球磨川の萩原堤を河口へ向かって進むと支流の前川沿いの道となり、さらに進むと、前川橋の袂に「徳渕の津」の標柱が建っている。

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球磨川の河口部に位置する八代は、古くから豊富な農林水産資源の集散とともに、海外交易の要衝として発展してきた。 現在では当時の石段が残るのみだけど、

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ここが古代から近世にかけての港であった。 その横に「河童渡来の碑」。

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石碑に書いてある内容やネットで予習した事を要約すると・・・ 第16代仁徳天皇の時代(313年?~399年?)に、中国の黄河に住んでいた九千匹の河童が、「黄海若」という怪物に襲われたため、命からがら、海を渡って八代へやって来た。そして球磨川流域に広く生息していたが、川で遊んでいた子どもが加藤清正の小姓とは知らずにちょっかいを出した事で清正の逆鱗に触れ、退治されて筑後川へ逃げた。そして、そこから日本全国津々浦々の川へ移り住んでいった・・・。 横の石碑には、また、古くからこの地に伝わる「オレオレデーライタ」という文字が刻まれている。

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この、呪文のような言葉には諸説があるようだけど、「祭りを催してくれたなら、この石がすり減るまで、この地で悪さをしない」と河童たちが誓ったといわれ、子供たちが川で遊ぶ際にこの言葉を唱えると、河童の害にあわない呪文であると伝えられている。今でも初夏を告げるころに「オレオレデーライタ祭り」が行われているとのこと。 さて、その九千匹の河童を率いてきたリーダーが「九千坊」。

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八代の人たちに愛されて、今では「音頭」まで作ってあるみたい。

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近隣には河童のオブジェがあちこちに・・・。

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(巨大酒飲み河童)
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(アートなブロンズ像)
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(アートな壁画)
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(エジプト的な巨大像)

この他、前川を渡った麦島にも親子の河童像があるとのことで行ってみたが、残念ながら無くなっていた。 河童伝説の地を巡り終えたが、ランチの時間までにまだ少し時間があるので、八代城址を観に行って、

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その後、前川沿いを走り、

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八代港を散策。

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そしてランチは八代港の近くの「刀削麺・丸新」で。

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刀削麺(とうしょうめん、ダオシャオミエン)」とは水で練った小麦粉のかたまりを、

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沸いた湯の中に、専用の刀で削り入れて作る麺で、

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中国の山西省の発祥だとか・・・。

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かなり前だけどNHK BSの番組でこの中国の刀削麺の事をやっていたので、いつかは食ってみたかったのだ。 色々メニューがあるなかで、定番だという「スープ刀削麺」をオーダー。 リズムよく削られた柳の葉状の麺が放物線を描いて煮えたぎるお湯の中に着水する様子を愉しむ。

やがて「スープ刀削麺」が運ばれてきた。

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麺は、当然ながら厚い部分と薄い部分があり、歯ごたえに変化があってユニーク。

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麺の作り方が珍しくてはるばるやってきたが、麺だけでなく、鶏ガラスープが大変美味しいし、鶏肉団子も味がよく沁みていて、期待以上のものであった。 食後に出されるプリンは、そのままでも、紅茶だれを付けても、カルメラだれを付けてもグー!

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帰路は八代港にあるインド料理SANJIから左折して北へ進み、県道42号線に入って、有佐からはJRの線路脇を北上し、道の駅竜北で休憩。

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ここからは国道3号線を北上するつもりだったけど、予想以上に暑くなって来たため、交通量の少ない朝来た道を戻り、中の瀬橋でヘイホーさんと別れ、

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水前寺公園でこくろさんと別れて帰った。 本日の走行距離:101.2㎞

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