くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

矢部で阿蘇家めぐり

午前6時過ぎにクロモリロードバイクで出発し、京塚を抜けて健軍自衛隊から右折するはずが考え事をして直進してしまい、加えて道路工事に振り回されて遠回りして嘉島に入り、

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浮嶋神社を経由して御船へ。

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木倉のセブンイレブンで補給食を調達し、木倉の六地蔵の安否を確認。昨年の地震で倒壊していたが、

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修復してあった。

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軍見坂を上り、

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県道57号線に入り、田代の集落を抜け、矢勢川沿いの道に入ると、妙龍寺近くの崖崩れの部が、法面工事のため全面通行止め。仕方がないので、いつもの通行止め部の先へ「ワープ」! 振り返ってみると、工事作業の上にさらなる土砂崩れも発生しており、なるほど、これは工事終了には少し時間がかかりそう。

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さらに県道57号線を走り、国道445号線に突き当り左折し、アップダウンを走る。 矢部に入って、浜町、通潤橋の周辺の阿蘇氏関係の史跡ハント。 矢部と阿蘇家が関わりがあると知ったのは、4年ほど前だったか、「男成神社」へ行った時。

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「男成という社名の由来は、阿蘇宮司家代々の元服が行われたためである。」と書いてあった。 さらには日向往還を走った時、矢部高校の南側に「浜の館外堀跡」という標柱があり、矢部高校の敷地に、かつて「浜の館」と呼ばれた阿蘇家の居館があったことを知った。

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「浜の館は1207年から1585年まで阿蘇氏代々の居館として使用された城館。阿蘇氏が最盛期を誇っていた阿蘇惟豊の時代は政庁として機能していた。その孫、阿蘇惟光が島津氏の攻撃から逃れるため目丸山へ逃亡し、以後使用されることはなかった。矢部高校の改築に伴っておこなわれた発掘調査では阿蘇氏が隠しておいたと思われる宝物類などが見つかっており、これらの出土品は国の重要文化財に指定され、熊本県立美術館に保管されている」とのこと。

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(浜の館の復元図)

「浜の館」跡から南側へ進み、「矢部のナイアガラ」と呼ばれる「赤禿滝」を渡って、

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細い道を進んで、突き当りを左手へ上がってゆくと、

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左手の小高い丘の上には阿蘇氏の居城であった岩尾城跡がある。

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途中でロードバイクを置いて狭い道や階段を上ってゆくと、

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最上部の本丸部には神社が立っていて、

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東屋なども整備されている。

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ちなみにこの岩尾城跡は通潤橋が掛けてある北側の丘の上、ということになる。

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道の駅「通潤橋」の入口からすこし上に上がった右手の、岩尾城が良く見えるところに阿蘇惟豊の墓地がある。

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さらには、国道218号線と県道39号線との交差点に近くには惟豊の二子、阿蘇惟種公の墓地がある。

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その墓地のすぐ近くのチポリーノで、いつものように美味しいパンをいただき、

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若旦那からの心づくしを堪能。

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昨年の10月、こくろさんと来た時にお会いしたローディと談笑してチポリーノを辞去。 帰路は国道445号線に入って少し北上して県道223号線へ左折。比較的木陰の多いアップダウンを上がって、

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峠を越えると後は島木までほとんどべダルを漕がずに進む。

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県道152号線へ左折して、ちょいと寄り道して、島木の峯棚田を見に行く。

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県道に戻って暮瀬(ぼぜ)、平(だいら)、木鷺野(きさぎの)のアップダウン、およびトンネルをくぐり、

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水越でも六地蔵の安否を確認して

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県道219号線へ右折し、樫永峠を越え、

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長い坂を下って、国道445号線に突き当たって左折。 御船を抜けて、

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嘉島、秋津レークタウン、健軍商店街、京塚経由で帰った。 本日の走行距離:95.2㎞

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