明日は天気が悪そうなので、昼前に仕事を切り上げて横島へサイクリングに行くことにする。 高速道路沿いに北上し、
県道30号線を西へ走り、国道208号線に入って滴水から左へ折れ、菱形から県道113号線で玉東に入り、
さらに玉名へ。尾田の丸池の手前で左折すべきところ直進してしまい、回り道をして国道501号線が県道1号線にぶつかるところのヒライで昼飯。
そこからすぐ近くの横島山の北にある加藤神社へ。
神社の隣には「石塘公園」があり、そこの案内板によると・・・ 往時菊池川の主流は横島山と久島山間を流れていた。
加藤清正は菊池川の水路変更と石塘築堤によって、数百町歩の耕地が出来ることに着眼し、天正十七年(1589年)工を起し十七年間の歳月をついやし、慶長十年(1605年)これを完成した。
その間、横島久島間約四〇〇米の築堤は最も難工事で人柱と読経の加護によって築かれたと言い伝えられている。
以来、干拓は加藤清正から細川家へと引き継がれ、江戸、明治、大正と続き、戦後の昭和21(1946)年、国営横島干拓事業に着手。昭和42(1967)年に潮止めを行ったのを最後に、現在に至っているとのこと。
横島山に上ると、人柱を立てた時に読経した山頂部は、お経を埋めた「経塚」を中心とした「経塚史跡公園」として整備されている。
横島山の山頂から南側に降りて少し東側の斜面へ行くと、「寛政の津波」の高さを示す「津波石」の痕跡が見られる。
この石は道路工事の際に撤去され、現在は「九州農政局 玉名横島海岸保全事業所」の敷地内に展示してある。
寛政4年4月1日(1792年5月21日)の雲仙眉山崩壊に伴う大津波被害の際には、まだ干拓地も狭く、しかも耕地になっておらず、ほとんどの住民は横島山の中腹に住んでいたため難を逃れたらしい。
そのあと、南へ走って、現在の干拓地内をテキトーに走る。
地震の影響らしい道路の亀裂が一部あったものの、
大きな被害は出ていないようだった。 帰路は「草枕温泉てんすい」を経由して県道1号線に上がり、「ナルシストの椅子」で休憩後、
野出峠へ上がり、芳野を経由して峠の茶屋に出て本妙寺に降りて帰った。 ところで、「笑える国語辞典」によると「邪な心」の「よこしま」は「横の状態」という意味の「よこさま(横様)」が転じた言葉だといわれている。 「横様」は「中心に対して左右に外れた位置」から転じて、「中心をはずれる、真実や正義をはずれる」というニュアンスになったらしい。 ん?わたし? 「横しま」なのは愛用しているヒートテックだけね。
本日の走行距離:72.7㎞