熊本県内をサイクリングして見つけた六地蔵を紹介するシリーズの第4弾。 前回は、全国でも、特に九州で多く見られる「六地蔵塔」の代表的なものを紹介した。 その多くはいくつかのパーツを積み重ねた「重制型」というもので、長年にわたり風雨に晒されたり、地震などのせいで倒壊したりして、パーツが紛失したものが数多く存在する。 県道204号の瀬田竜田線の大津町上陣内にあるバス停。
ここにある六地蔵は幢身である六角形の石柱しか残っていない。
また、玉名市梅林にある天満宮の前の六地蔵も同様に幢身の部の石柱しか残っていない。
その上のパーツの中では、「笠」の部分が雨、風や転倒の際のダメージを受ける事が多いらしく、破損したものがいくつか見受けられる。
(菊池市七城町下橋田の六地蔵)
(こちらも菊池市七城町梶迫の六地蔵)
また、復元できずに、「笠」の部が欠損したまま積み重なられたらしいものも見られる。
(川尻の椎田薬師堂前の六地蔵)
(御船町金光寺の六地蔵)
(山鹿市蒲生の六地蔵)
(美里町馬門橋の六地蔵)
そして、最も大事なパーツである、六体の地蔵を刻印した「龕部(がんぶ)」に、他の石塔などのパーツを流用して積み重ねたものも多く見られた。
(合志市竹迫の厳照寺)
(宇土市古保里の六地蔵)
(八代市の盛光寺)
(熊本市坪井の長延寺)
(八代市の高島観音堂)
(実家の菩提寺である京町の仏厳寺)
なかでも最大なものは八代城址の西側、花菖蒲で有名な「松濱軒(しょうひんけん)」の庭にある。 地蔵が六体彫られた龕部を4つ積み重ねた五重塔様式の六地蔵塔で、大変立派なものであるが、今回の地震で倒壊したと報道され、残念に思っている。
また、阿蘇駅に近い善応寺では龕部が御手水石として使われている。
一方、熊本市中央区内坪井にある夏目漱石の旧居の庭にあるものは、肝心な龕部が他の石(おそらく五輪塔)に置き換えられている。
このように、「六地蔵石塔」と言われるものには、無数のバリエーションが見られ、興味深い。
(荒尾市の田次郎丸居館跡)