昨夜から寒気が流れ込み、十二月中旬の寒さの上、風も強く、昼から一時雨の予報も出ているので近場をポタリング。 東バイパスから北バイパスへ入り、
右折して県道145号線に入り、東へ。高速道路をアンダーパスして左折し白川沿いの道を走る。
弓削を過ぎるあたりが鹿帰瀬(かきせ)。
「鹿」の字が付く地名としては「渡鹿(とろく)」があるが、「渡鹿」と「鹿帰瀬」には繋がりがあるらしい。 「くまもと水検定」の公式テキストブックによると、昔、白川左岸、神園(こうぞの)山の住民が水を求めて白川の近くに移住した時、鹿もついてきた。白川対岸の者が鹿を追い返したので鹿は引き返し、下流の浅瀬の瀬を渡って立田山に逃げ込んだとか・・・。以来、鹿が引き返したところが「鹿帰瀬」、渡ったところが「渡鹿」の名がついたとさ。 県道145号線に戻って東へ。菊陽町に入り、井口眼鏡橋を写真に収める。
鼻ぐり井出と馬場楠堰はパスして、ちよさん情報の標柱をチェックしに行く。古い石塔が、熊本空港がある高遊原台地の東北縁にあるらしいんだけど、詳しくはよく解らないので、岩坂地区に入った辺りでテキトーに右折し、坂を上る。
やがて滑走路の北側を走る道に突き当たるが目指す標柱は見当たらず。
行き過ぎたか?と思い、滑走路の北側の道路を西へ少し進んで右折し、標柱を捜すがやはり見つからない。「もう少し先か?」と探すうちに九十九折の坂を下ってしまい、
中島あたりの県道145号線に下りてしまった。やれやれ、どうやらもう少し東側だったらしい。 標柱を探すのを諦めて県道を戻り、戸次の交差点を右折し、白川を渡る。
道なりに進んで、県道202号線との、下町の交差点を右折。20mほど進んだ左側に横綱・不知火光衛門の墓。
熊本出身の横綱はこれまでに二人だけで、宇土市栗崎出身の不知火諾右衛門(だくえもん・なぎえもん)が第8代。
光衛門が第11代である。
ちなみに、現在行われている九州場所で、熊本出身の幕内力士は二代目・佐田の海のみ。
さて、ここには不知火光衛門の墓と、
土俵入り姿の張り子、
それに銅像がある。
また、壁には顔写真と、横綱の免許証が掲げてある。
「熊本出身の横綱を!」と贅沢は言わないので、「せめて日本人の横綱を!」と、お参りをして帰路へ。 折角大津に来ているので、久しぶりに「O3CafeKEN」へ。
北から灰色の雲が迫って来ていたので、短めにお話をして辞去。 上井出沿いに走って、鉄砲小路を走り、
豊肥線の北側の道に入り、武蔵塚のループを走って県道337号線に入り帰った。 本日の走行距離:46.0㎞