くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

すこしだけ日向往還(その2)

肥後から日向に至る古道、日向往還を自転車で走る旅の第二弾。 先日、その日向往還を四里木跡から矢部ゴルフ場近くまで走った。 今日は熊本城西側の起点から四里木跡までの区間を走ることにする。 午前8時半過ぎにクロモリロードバイクで家を出て、大井手沿いから太甲橋を渡って市街地を抜け段山(だにやま)方面へ。 新町のYMCAの筋向いにある清爽園。

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ここは熊本城の西の入り口「新一丁目御門」があったところである。そしてここには藩のお触れ(高札)を掲示していたので、「札の辻」とも呼ばれ、ここが熊本から各地に通じる街道(豊前、豊後、日向、薩摩)の起点(里程元標)となった。

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ここから日向往還の四里木跡を目指してスタート。 しばらくは薩摩街道と同じ道を進む。 電車通りに出て、橋本勘五郎が建てた明八橋を渡る。

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唐人町通りを東へ進んで右に折れ、長六橋を渡る。

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ここで白川沿いを進む薩摩街道と別れ、国道3号線のひとつ西側の路地へ。

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この界隈は当時、「迎大工町」と呼ばれており、「放牛地蔵」の放牛さんが住んでいたらしい。 産業道路と国道3号線を渡り右折。

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国道沿いに少し進み、左折してT字路を右折すると三の井手に架かる「乙居橋」。

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渡って右折し、その先のY字路を左へ進むと十字路がある。

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ここが「御船口」と呼ばれるところで、「放牛地蔵」と

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「道標」がある。

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道標には「左きやま 右みふね」と書いてあり、左へ行くと木山往還。 ここを直進し、道なりに進み、大石酒店から左折。 突き当たりを右折して白山通りを渡り、

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豊肥線の踏切を渡って進むと左カーブし、その先の旧浜線(県道104号線)を右折。

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後はひたすら、道なりに進む。 ドラッグコスモスの南側に細川藩の馬術訓練施設跡。

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さらに進むと、けやき通りとの交差点のすぐ手前の左側に「一里木跡」の標石。

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さらに進んで東バイパスとの交差点近くの田迎小学校の前に放牛地蔵。

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江戸中期、親子喧嘩の末に父親を亡くしたのをきっかけに出家した放牛が十年間で百体以上の地蔵を建立した、その第一体目の記念すべきお地蔵さん。 東バイパスを渡ってさらに浜線の旧道を進む。 右手に良間(ややま)神社。

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その数百m先から日向往還は右に折れ田舎道を進む。

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しかし残念ながら熊本バスの駐車場のところで行き止まり。

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県道104号線に戻り、南下すると左へカーブして加勢川沿いとなる。そして川沿いの遊歩道に二里木跡。

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その先の中ノ瀬橋で加勢川を渡り右折し、すぐ左折。 しばらく走って肥後銀行から左折し、道なりに進んで交差点を左折。国道445号線を渡って少し進んで右折すると東海大学の創始者・松前重義の生家前を通る。

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その後。再び国道445号線に合流。御船川堤防の道路を進む。

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しばらく走ると御船街道ハゼ並木。

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ここら辺りが三里木があった場所らしい。 高速道路をアンダーパスした後、左下方に「加藤清正公指揮所跡」。

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ここらの堤防は難工事で、清正公が直々陣頭指揮にあたったらしい。 しばらく走って、左へ小坂橋を渡り、国道445号線沿いを走る。 以前は御船川に沿った道が国道であったが、バイパスが完成し、それが国道となっている。 その新しい国道445号線へ入り、途中で右折し、クネクネと路地を進むと、「メロディー橋」の袂に、今坂の道標(追分石)。

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「左やへ(矢部)、右かうさ(甲佐)」。 しばらく御船川沿いの道を走り、県道221号線へ左折。 このあたりは「西往還」と呼ばれている。

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国道445号線を渡り、少し走ると『四里木跡」の石碑に到着し本日の探索終了。

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いつもの田舎の直線道路を走り、サントリービール工場の丘に上らず、上六嘉のバス停のところで県道226号線に突き当り、左折したところにある、欧風長屋の中にあるABCカレーへ。

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馬すじカレー680円をオーダー。

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まあまあかな? その後、浜線に出て、ハンズマン画図店で買い物して帰る。 本日の走行距離:43.0㎞ ちなみに獲得標高は、わずか83m!・・・うーん。こんな日は「長崎ロス」。

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