くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

花房台地探訪

遅い夏休みをとったので少しだけポタリング。目的地は菊地平野の南にある花房(はなぶさ)台地。その台地にあった菊地(花房)陸軍飛行場の跡地を探索する。 朝7時半過ぎにクロモリロードバイクで出発。東バイパスから北バイパスに入り県道337号線に降りて東へ。JR武蔵塚駅の先から豊肥線の北側の道路を走る。菊陽杉並さんさん公園では全国インカレのアーチェリー競技が開催されている。

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鉄砲小路を走ってセミコンテクノパークに上がり、技術大学の前を通る。

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SONYの工場の裏から日向川沿いの道をのんびり走る。

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やがて合志川に出て、渡る。

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そして花房台地へ。

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ここらにはIC関係の工場がいくつかあり仕事で何度か来ているので、その辺りの道を適当に走っていると、飛行場跡のシンボル的存在の高架水槽がすぐに見つかる。

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高さ13m余りの給水塔で、第二次大戦中の空襲で約30個の弾丸痕が残っており、しかも2007年まで現役で使われていたと言う。 その横には『菊地(花房)陸軍飛行場跡』の案内板。

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案内板によると・・・  ここ花房台地には、多くの人々の希望と努力と困難の歴史が刻み込まれている。戦雲急を告げる昭和十年、この地に軍用飛行場の建設が計画され、官民一体の造成工事の結 果、十五年、すべての施設が完成し、陸軍飛行学校が発足する運びとなった。  以後第二次大戦にかけて、多くの航空隊が駐屯し、厳しい訓練に明け暮れたが、その間訓練中の事故により、また終戦直前アメリカ艦載機の空爆により多くの犠牲者を出すこととなった。二十年八月十五日終戦。翌二十一年、引揚者、復員者、戦災者が開拓者として入植し、戦後復興の第一歩を踏み出した。二十六年、この地に戦前から眠る無縁仏の慰霊塔を建立し、供養をしてきた。また三十二年から戦時中少年飛行兵として若き日を過ごされた方々の亡き戦友を思う熱情にうたれ、無縁仏と戦没者の霊を合祀し、慰霊祭を行っている。  戦後六十年、今もなお残る戦いの爪痕を目の当たりにし、壮絶な大戦を偲ぶ時、誠に感慨無量なものがある。我々は郷土泗水にこういう大戦に関わる戦場があったことを認識し、戦争の悲惨さ、虚しさ、愚かしさを二度と起こさないことを肝に銘じて、ここに案内板を設置し、長く後世に伝えるものである。 案内板の地図を頼りに関連史跡を見て回る。 開隊記念碑

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部隊営門(左奥)と哨所跡(右手前の夏草の盛り上がり)

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慰霊塔

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格納庫跡(民家の塀と化している)

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弾薬庫跡

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油倉庫跡(民家の庭にあり、生垣の隙間から撮影)

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木造格納庫跡

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少し離れた陸軍航空通信学校跡

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そこから県道136号線に出て七城方面に下り、前川水源で給水。

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その近くにある亀尾(板井)城跡に上がる。

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菊池川沿いの道へ降りて下流方向へ。

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合志川沿いの道を上流へ。

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小野川沿いの道を上がり小野泉水公園でアイスクリーム休憩。

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いつものように南へ進み坪井川沿いの道に出て津浦のBenbowさんのオフィスに寄る。

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10月のO3サイクリングの計画などを話し合い、寺原から藤崎宮前に出ると、秋の大祭の飾りおろしの真っ最中。

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祭の喧騒を抜けて、明午橋を渡って帰った。 本日の走行距離:71.9km

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