くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

球磨川サイクリングロードを走る

人吉で急な仕事がはいった。昼までには終わりそうだから、車にロードバイクを積んでいって、まだ走った事のない「球磨川サイクリングロード」を仕事の後で走ることにする。 午前8時過ぎ、人吉に着くと霧が出ており、予想したより寒い。11時前には仕事が終わり、人吉駅前で、栗めし弁当を購入。すでに2度球磨川サイクリングロードを走ったという職場のスタッフからの、「車を置くならクラフトパーク!」の助言に従い、「人吉クラフトパーク」を目指す。球磨川サイクリングロードは人吉駅~湯前駅間だが、人吉駅周辺は有料駐車場なのだ。人吉駅から10分足らずで「人吉クラフトパーク」に到着。

画像

早速、栗めし弁当900円を食べる。

画像

トイレでサイクリングウェアに着替え、ロードバイクを準備する。

画像

クラフトパークの前の道が国道219号線で、その歩道が「球磨川サイクリングロード」。

画像

湯前方面へ走り出すが、行きは球磨川沿いの道ではなく、山沿いの道で湯前町を目指すことにする。しばらく国道219号線を進み、途中から県道43号線へ右折。この道は、国道219号線に比べると回り道になるが、交通量が少ない。途中2度、交差点で直角に曲がっており、間違いやすいが、標識に従って行けば大丈夫。

画像

・・・なんて言っておきながら間違ってしまったが、大丈夫。 やがて「あさぎり町」に入る。

画像

やがて道沿いに「平景清息女の墓」の看板。

画像

県道から100mほど入ると、ひっそりとその墓がある。

画像

ちょっと長くなるが、熊本県のHPによると、『平景清は平家方の武将で、壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡したあとも、源頼朝の命を狙い続けた。しかしその無謀さを知った景清は、死を覚悟して頼朝の前に現われるが、頼朝は命を助けたばかりか、日向国(宮崎県)の勾当(こうとう:役所の事務を行うこと)に任じた。この後、平家への想いと頼朝の恩との間に悩み続けた景清は、自分の目をえぐりとって死んでしまう。さて、景清のあとを追って切畑村(現在のあさぎり町)を訪れた景清の娘は、畑から飛び出した黒猫に驚き、ゴマがらで片目を痛めてしまう。療養のために泊まった村人の宿で父の死を知った娘は、父が渡した平家の旗を形見の短刀でちりじりに切り裂き、自害して果てたのであった。村人はその娘を不憫に思い、塚をつくって手厚く葬った。それ以来この村では黒猫はいっさい飼わず、ゴマがらも決して持ち込まないしきたりになったという。  ちなみに、宮崎市(宮崎県)には景清の眼をまつる生目神社があり、球磨郡あさぎり町免田には、景清の母とも恋人とも伝えられる「虎御前の墓」とよばれるものがあるという。』 お墓を後にして県道43号線に戻る。さらに進むとやっと湯前町に入る。

画像

街の中心に到着。湯前駅のシンボル、レールウィングの縦長のアーチ。

画像

駅の近くには、レンタサイクルも。

画像

さて、いよいよ球磨川サイクリングロードを目指したいが、これが判りにくい。球磨川方面へ適当に進むと、自転車専用道路の始まりを発見。

画像

このサイクリングロードは舗装も良いし、道幅も広い。所々にルートマップや綺麗なトイレが整備されている。

画像

走行距離も判るようになっている。

画像
画像

ただ、当然ながら、一般道が横切っていて、頻繁に「止まれ」の表示が・・・。

画像

横では球磨川が割合ゆったり流れている。

画像

途中、「ツクシイバラ」の看板。

画像

確か、5月頃、満開のニュースが放映されていたが、今は橙色の小さな実がついているだけ。

画像

やがて球磨川沿いの道はなくなり、国道219号線の歩道に繋がり、クラフトパークに戻る。 ロードバイクを車に積み、クラフトパークの、工芸品中心の物産館で「おからカリント」を見つけ、おやつに食べる。

画像

小腹を満たして、人吉を後にする。 本日の走行距離:54.6km

画像